
この世は愛おしく大切なものに包まれていた…
失って初めて気づく人生の煌き
《ストーリー》
ある日、病院で不治の病の宣告を受けた主人公の「僕」(佐藤健)。余命がいくばくもないことを知り、言葉を失ってなすすべもなく帰宅する。そこに突然自分とウリ二つの悪魔が現れ「この世から“何か一つ”を消そう。かわりに一日だけお前の寿命を延ばしてやるから」と奇妙な話をに持ち掛けられる。
最初は電話、翌日は映画と、日ごとに“何か”が世界から消えていき、一日また一日と生きながらえる「僕」。彼は次々と起こる不条理に戸惑いつつも、消えたモノにまつわる人々の姿に想いをはせるのであった。
《みどころ》
人はその最期を迎える時、これまでの人生が走馬燈のように頭の中を流れるという。『世界から猫が消えたなら』は、その燈火をわずか100分のフィルムに閉じ込めた極上のファンタジー映画だ。「余命わずか」という設定は、古今東西で使い古されたモノかもしれない。既視感やマンネリズムを感じさせてしまう恐れもある。だが、そのハンデをものともせず、正面から観客に挑み、その人自身の体験にダブらせながら、深く深く惹きこませてくれる。
これまで寄り添ってくれた家族や友人に、自分はいったいどのくらい感謝を伝えてこれたろうか…涙を拭いながら、考えてしまうに違いない。
本作は前述したようにファンタジージャンルの映画なのだが、そうかと言って華々しい幻想シーンがあるわけではない。悪魔は出てくるが、片手一本で世界を破滅させるような巨大なパワーがあるわけでもない(いや、実際はあるのかもしれないが)。何気ない日常の風景を丁寧に追った閑かなる作品だ。ただ、それがとても愛おしく思える。とりわけ舞台となった函館の古い街並みはノスタルジーが溢れかえり、どこまでも美しい。シナリオに負けないくらい、清々しいビジュアルがいつまでも心に残る。
そしてこの情感あふれる物語のキャストに選ばれたのが、佐藤健をはじめ、奥田瑛二、原田美枝子、宮﨑あおい、濱田岳などの名優の面々。それぞれの領域の中でまっすぐ、精いっぱいに生き抜いていく姿は作風にピッタリで、よくぞこのメンバーを揃えてくれたと思う。彼らの名前が流れるエンドロールの挙げ方すら、とてもマッチしていて…というより映画本編が発したメッセージを凝縮したすごく素敵な演出で、惚れ惚れしてしまう。
生き抜いて、生き抜いて、生き抜いて…ついに今際の際を迎える時。人が見る最期の景色とは、この映画そのものなのだろうな、と思える。そして、だからこそ刹那の人生を大切に生きよう、と思える。観終えた時、そんな優しい風がきっと吹き抜けることだろう。
© 2016 映画「世界から猫が消えたなら」製作委員会
映画作品情報

2016年5月14日(土)より、全国東宝系にてロードショー!