映画『ノートルダム 炎の大聖堂』
ジャン=ジャック・アノー監督 インタビュー
手に汗握る、ファイアーアクション、しかしこれはすべて事実!
「決して作り話ではない」と監督が強調する理由
2019年4月15日、フランス、パリにある世界遺産ノートルダム大聖堂は、修復工事中だった。外壁に足場が組まれる中でも多くの観光客が訪れ、ミサに参加する信者も集まる中、火災報知器が鳴る。当初「誤作動」と判断された小さな火種はあっという間に燃え広がった。
この世界遺産が、危うくすべて焼け落ちるかもしれない状況に陥りながら、消防士たちの勇敢な消火活動の末幸運にも全焼を免れるまでを描いたドキュメンタリータッチの映画が本作である。
監督はジャン=ジャック・アノー。『薔薇の名前』(1986年)、『愛人 ラマン』(1992年)、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)など、フィクションの名作で知られる監督は、この作品の制作にあたり、「事実を描く」ことに重きを置いたという。それはなぜなのか?その真意を聞いた。
驚愕すべきエラーの連続があった
映画では、大火災に至る要因として様々な「エラー」が描かれている。火災通報の遅れ、渋滞に巻き込まれる消防車、火元である塔内に入る「扉」の鍵が見つからない、火元に届くはしご車がパリ市内で調達できない、などなど。
「本当にありえないほどの失態が重なっているんです。その中には“こんなの嘘だろ?”と思うようなことがたくさんあって、私だってこうしたニュースを最初に聞いた時は信じられませんでした。まるで“マーフィーの法則”のように、不幸が不幸を呼んで最悪のことばかり起きてしまいました。それも普通では考えられないことも含め。聖遺物を保管している部屋の鍵を持っている唯一の人間が、その日ヴェルサイユにいてすぐにパリに戻れなかった、なんて、作り話のようですよね。他にも、耳を疑うような話がたくさんあったのですが、それらを全部入れこむと映画が長くなってしまうので、カットしたほどです。それくらい、“ありえない”エラーや不運の連続が、この災害を生んだのです」
「できすぎなストーリー」だが、98%が事実
「その上、鎮火してみると、あれだけの火災に対する困難な消火活動でありながら、結果的には消防士は全員無事に帰還し、大聖堂も二つの鐘楼を失わずに済んだ。これをニュースで読んだ人が、こんなドラマチックな記事を書いた記者は、きっとハリウッドで映画の脚本の勉強をしたに違いない、と思っても仕方がありません。皆さん、こういうお話が好きでしょ?保管室の鍵を持っていた青年はすんでのところで大聖堂に到着し、鍵を開け、聖遺物が炎に包まれる直前に救えた、命懸けで消火に当たった消防士たちも幾多の危険をくぐり抜けてミッションを成功させ、全焼するかと思われていた聖堂も建っているわけですよね。そして誰も傷つかなかった。死んだ人はいないし、消防士も観光客も聖職者も、大やけどしたり大きなけがをした人はいなかったなんてね。ハリウッドでは典型的なハッピーエンド映画ですよ。でもこれはフィクションではない。つまり“ウソのようなほんとの話”なんです。が、あまりに“できすぎている”からこそ、観客は『フィクションだ』『作り話だ』『ドラマチックに脚色している』と思ってしまうのではないか? それが私の懸念でした。確かにこれはドキュメンタリーではありません。聖堂内の火事のシーンをはじめ、多くはロッテルダムにセットを構築してそこで撮影されています。でも、再構築したものの、98%は真実なんです。私はあの火災の真実を誇張せずそのまま伝えるために、この映画を作りました」
ノートルダム火災が投げかけたもの
主人公は、消防士たちである。何百段もある狭い螺旋階段を何十キロという装備のまま黙々と登っていく、防火服さえ溶けてしまうような火焔地獄の中に突入する。
「火災の後、私は特別な許可を得て現場を視察しましたが、衝撃的だったのは、普段雨水を流す樋口であるはずのガーゴイル(邪鬼)の口に、まるで髭か何かのように溶けた鉛が固まって垂れ下がっているのを見たことです。ガーゴイルだけでなく、窓という窓に、鉛が流れこびりついていました。この大聖堂の屋根には500トンもの鉛が使われていたとのことです。いかに大聖堂が高温の火に包まれ、建物に使われていた鉛という鉛が溶けて川のように流れたか」
その中にあって、彼らの冷静な状況判断には舌を巻く。
「今回、たくさんの消防士の方にインタビューしましたが、ある人の言葉が私の心を揺さぶりました。その方は非常に背の高い、若い方だったんですが『あの状態を鎮火させるには、まさに燃え盛っている塔の中に入っていって、その火の中に入り込んで消火するのが解決策だということがわかりました』とおっしゃったので、私は『でもあなたが自分の命を危険にさらしてもこの仕事をなさるのは、他の人の命を救うことであって“石”を救うことではないでしょ?』って聞いたんですよ。すると彼は、『いや、私の命なんて大聖堂という“石”に比べたら何でもありませんよ』っていうことを、サラッとおっしゃったんです。『それってヒーローの言葉ですよね』と言うと、『いやヒーローなんてとんでもない、僕は単に自分の仕事をしてるだけなんです』とおっしゃった。本当にごく自然に。自分の命をかけて他の人の命を救う、それに生涯をかけている。それはフランスに限りません。私はこの映画のプロモーションツアーでいろんな国に行っていろんな国の消防隊の方にお会いしましたが、皆そうなんです。決して儲かる仕事ではないんですけれども、皆さんものすごく純粋な心を持っていらっしゃいます。だから私は、実際にあの聖堂の中で火の中に入り込んでいった消火隊の人たちの気持ちに寄り添う、あるいは彼らがどれだけ命をかけていたかということを見せ、皆さんに没入感を感じてほしいと思ったんです。そして鎮火できた後、彼らの満足感というものを、観客に自分がその立場になって感じてほしいと思いながらこの映画を作りました」
宗教を超えた美への祈りがここに
夜になっても燃え続けるノートルダム大聖堂を対岸で見つめ続ける人々が、自然発生的に聖歌を歌うシーンがあるが、監督はその状況を、敢えて信仰とは切り離して説明する。
「あの場所にいた人は、フランス人だけではありません。たくさんの国の人がいた。肌の色もいろいろ。キリスト教の信者だけでなく、イスラム教徒もいました。イスラム教徒が聖歌を歌っていたかは知りません。彼らがその意味を理解していたかもわかりません。わかっているのは、そこにいたすべての人々が、世界で最も訪れる人の多いパリという国際都市にあり、その中でも最も訪れる人の多い歴史的モニュメント・ノートルダム大聖堂が、こんなふうに崩壊するのを見たくない、あるいはその行末を見守りたい、その一心だったということだけです。皆、美しいものが好きだし、美しいものの前には敬意を表します。それは世界共通。映画の冒頭、異なる言語を話す外国人観光客が大聖堂内を見学する描写を入れたのには、そういう意味があります。ノートルダム大聖堂は約850年前からこの地にあり、もっと言えばそれよりずっと前から聖地として特別な場所でした。私は特別信仰に厚い人間ではありませんが、それでもノートルダム大聖堂の中に入ると、いつも心が洗われる感じがする。なぜなら、ここは美しい場所だからなのです」
[Photo credit: Mickael Lefevre、David Koskas、Mickael Lefevre、Guy Ferrandis]
プロフィール
ジャン=ジャック・アノー (Jean-Jacques Annaud)
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映画『ノートルダム 炎の大聖堂』予告篇🎞
映画作品情報
《ストーリー》2019年4月15日、ノートルダム大聖堂が炎上するという大惨事がおこった。 フランス・パリの街に800年以上前に建造され、ゴシック建築の最高峰として名高い、世界遺産・ノートルダム大聖堂。パリ・カトリック教区の中心としてそびえるのみならず、「ノートル(我々の)・ダム(聖母)」という名が示す通り、その存在は宗教や国境さえ超えて、人々に愛され、人々を見守ってきた。 いつものようにミサが行われていた火災当日の夜、警報器が火災の検知を知らせる。しかし、誤報だと思い込み、速やかな対応を取らない大聖堂の関係者たち。その間にも火は大聖堂の中を燃え広がっていく。消防隊が到着した頃には、大聖堂は燃え上がり、灰色の噴煙がパリの空高くまで昇っていた。 人々が見守る中、大聖堂が今、火に包まれ、崩れ落ちようとしている。しかし、大聖堂内の消火活動は狭く複雑な通路が行く手を阻み、かけがえのないキリストの聖遺物の救出は厳重な管理があだとなり困難を極めていく…。 大聖堂崩壊の危機が迫る中、それでも消防士たちは大聖堂も、聖遺物も、自分たちの命も、どれも諦めない。そしてついに、マクロン大統領の許可を得て、彼らは最後の望みをかけた作戦を決断する。大聖堂の外に集まった人々が祈りを込めて歌うアヴェ・マリアが鳴り響く中、決死の突入を試みる勇敢な消防士たちの運命は―。 |
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