映画『あつい胸さわぎ』恵水流生 インタビュー《前篇》
【写真】恵水 流生 (Ryusei Emi)

映画『あつい胸さわぎ』
恵水流生 インタビュー《前篇》

「これは絶対、形に残すべき作品」
制作中止と続行の狭間をいく壮絶な現場を支えた、映画人の礎 

20代でファッションデザインの会社を立ち上げ、衣装を担当したことから映画の世界へ。やがて映画自体に興味を持ち、俳優、プロデューサー、監督と活躍の幅を広げた恵水流生えみりゅうせい。彼がプロデューサーを務めた映画『あつい胸さわぎ』が2023年1月27日(金)に劇場公開を迎えた。

第35回東京国際映画祭(TIFF)のNippon Cinema Now部門に出品された際、恵水プロデューサーのインタビューを実施。彼が辿ってきた苦難の道とTIFFへの想い、そして「作品が完成したのは奇跡」と話す今作制作の舞台裏について話を聞いた。

企画から完成まで約3年がかかったという同作。コロナ禍の影響もあり、制作は常に「中止」と「続行」の狭間を行くギリギリの状況下で進められた。その間恵水は何を思い、何をよすがとして作品に携わってきたのか。映画人だからこその葛藤と、そこから見えてきた強い想いを伝えていく。

脚本を読んだ瞬間「いける」と感じた
若年性乳がんを扱うも母娘の物語

映画の原作は、演劇ユニットiakuの横山拓也が作・演出を務めた同名舞台。若年性乳がんを患う少女を主人公としながら「闘病」がメインではなく、あくまで自らの病と向き合う少女の心の動きや母と子の関係性が、温かく、時にユーモアを交えて描かれている。主人公の武藤千夏に抜擢されたのは、スターダストプロモーション所属の若手女優、吉田美月喜。母子家庭の母親として仕事をしながら、千夏を支える昭子役に常盤貴子。ほか前田敦子奥平大兼三浦誠己佐藤緋美ら実力派俳優とフレッシュな若手が脇を固めた。

恵水が今作に携わった大きな理由は、映画業界に興味をもつきっかけとなった、ある人物との縁に心惹かれてのことだったという。

恵水: 「どうしても映画化したい企画があるので、製作に加わってほしい」。今作で一緒にプロデューサーを務めた石原理衣さんから、そうお声がけいただいたのが始まりでした。その際、脚本家が高橋泉さんだとお聞きしてすぐに興味を持った。石原さんも僕も、もともとずっと高橋泉監督と廣末哲万監督のお二人が立ち上げた「群青いろ」という映像ユニットが大好きだったんです。僕は彼らが作った映画『ある朝スウプは』(2003年製作/2005年公開)をきっかけに映画業界に入った話を石原さんにしていたので、今作もきっと気に入るはずだと思ってくださったようです。

旧知の仲で、共に「役者」と「制作」の両方で活躍する恵水と石原氏。「同士のようなもの」という2人には、共通の目標があった。

恵水: 僕らは、今の閉鎖された日本国内だけに向けられた映画ではなく、国外の市場を視野に入れた邦画作品を作っていきたいという考え方で一致しています。お互いさまざまな海外の映画祭に自腹で出向き勉強をする中で、まずはTIFFのような国際映画祭で評価をいただける作品を作りたい想いが礎としてありました。まつむらしんご監督は、石原さんから「ずっといいと思っている監督がいる。この作品はその方に監督をやってもらおうと考えている」とお聞きし、お会いしました。

原作舞台は鑑賞したことがなかった。しかし実際の脚本を読んだ瞬間、作品の放つ強い魅力を感じたと語る。

恵水: 脚本を読んだ瞬間、「この脚本(ホン)ならいける」と確信しました。「若年性乳がん」という重いテーマを扱ってはいるものの、それはあくまで千夏の物語における一つの要素。闘病や手術などの前段階にある心の動きを描いた物語です。企画の段階から「“闘病映画”にして泣かせる」といった方向性にするのは、絶対にやめようと話していました。それよりもっと違う側面から当事者や家族の心の動きをドラマとして描けるようにと考え、恋愛の要素も加えた。高橋さんの脚本は、キャラクターが“生きている”ところが大きな魅力。セリフはもちろんですが、人物そのものがしっかりでき上がっていて、イキイキと描かれている点が面白さになっています。

【画像】映画『あつい胸さわぎ』場面カット1

まつむらしんご監督は「人として魅力的な、作品を託せる相手」

まつむら監督の魅力は「人柄」だという恵水。その答えには、制作の責任をすべて負わなくてはならないプロデューサーならではの強い想いが込められている。

恵水: まつむら監督は大変人当たりがよく、博識で、知性があって上品な方です。初めてお会いした時から「人として」いいなと感じました。その後、話をしていく内にとても懐っこいところのある方だと分かりました。映画制作で組む相手とは、何年も一緒にものづくりをしていくことになります。そうしたパートナーとして考えたとき非常に信頼を置ける方ですね。

また、彼自身が非常にチャーミングであり、映像作家としても、かわいらしい世界観が得意なんだと思います。先ほどもお話ししたとおり、今作は重めのテーマを含んだ物語をあくまで明るく“家族の話”として作りたかった。その意味で、脚本とまつむら監督の演出がマッチしそうだと思いました。

プロデューサーは、常に「いい監督」と出会いたいもの。そうでないと作品作り自体が難しくなってしまいます。僕に限らず、この立場の人間は皆、一つの作品を作るのに本気で命をかけるくらいの想いを持って制作に取り組んでいると思います。その想いを託せる相手でないと、監督をお任せするのは難しい。その意味で、彼と出会えてよかったと思っています。

【画像】映画『あつい胸さわぎ』メイキングカット (恵水流生プロデューサー、まつむらしんご監督)

映画『あつい胸さわぎ』の撮影現場(まつむらしんご監督と恵水流生プロデューサー)

 

原作である舞台は、傑作として各所で大きな反響を呼んだ。本作もまた、家族の関係性や葛藤、その心の動きを、和歌山の小さな港町の風景と共に楽しめる。特に“舞台っぽさ”を感じることはなく、一つの映画作品として見事に完成されているが、原作の良さを生かした部分と、映画ならではの見せ方のバランスはどのように考えられたのだろうか。

恵水: 原作からの大きな変化は、作品の舞台を外に「開いた」ことです。今作は家族の話なのですが、原作はいい意味で「閉じた」空間の中に集中させた話になっています。例えば、武藤母娘が住んでいる家は元々団地のイメージです。映画化にあたり、当初はロケ地となった和歌山を探し回って、借りられる団地を見つけていたのですが、それだと少し閉鎖的な空間になると考えました。

企画を詰めていく内に、それよりはもう少し開けた話にしていきたいと変わっていき、撮影の直前に、雑賀崎さいがさきという港町をメインのロケ地に変更しました。映画の冒頭に雑賀崎を俯瞰で映した場面が数カット出てくるのですが、湾になった入り江に点のように家が並んだ街で、「日本のアマルフィ」と呼ばれているそうです。あの片田舎の港町から都会の学校に通学しているという設定にしたくて、急遽雑賀崎に全面協力してもらえるよう交渉しました。

【画像】映画『あつい胸さわぎ』雑賀崎漁港

映画『あつい胸さわぎ』のロケ地、雑賀崎漁港

 

逆に映画制作にあたり、原作から譲れなかったポイントは、物語の主軸が「母娘の話」である点だと話す。

恵水: 今作では、娘の千夏にも、母親の昭子にも恋愛要素が出てきますし、他の登場人物を含めて多くの要素が入り交じり、群像劇のような側面があります。それでも、やはり「千夏の話」であることはぶれないようにしました。そのバランスが結構難しく、昭子の方に比重を置き過ぎると、また違う見方になってしまう。あくまで主人公は千夏という点は、ポストプロダクションの段階でもかなり意識をしながら調整しました。

【画像】映画『あつい胸さわぎ』場面カット2

一人でもコロナが出たら即制作中止 
緊急事態宣言下の和歌山ロケで奇跡が起きた

千夏が自転車を飛ばす坂道や、港。ほんの少しだけゆったりとした時間が流れる、独特な街の雰囲気は、母子を取り巻く温かな空気感をよりふくらませている。ロケ地の和歌山で撮影協力の交渉や手配は恵水が担当。雑賀崎を中心に撮影の9割が行われた同地では多くの出合いとアクシデントがあったという。

恵水: 実際に撮影をしてみると、和歌山はとても映画を撮りやすい土地でした。僕は、県の方々との撮影協力に関する設計部分を担っていたのですが、人が優しく、最初の段階から協力してくださる方がたくさん集まってくださいました。その方々から派生して、場所を貸していただける店舗さんや車など、たくさんのものを手配してもらえた。雑賀崎は昔から住んでいる方々が多く、ほとんどが漁師の家という土地です。そうした独特なコミューンの皆さんもたいへん良心的でありがたかったですね。

プレロケハンで初めて訪れた時は、まだ実際の撮影地にするかわからなかったのですが、まつむら監督がとても気に入っていて、何かがハマった様子でした。和歌山で撮ると当初の予算からオーバーしてしまうため、設計の段階ではだいぶ大変な部分があったものの、結果としてはよかったと思います。予算については、和歌山で協力してくださる企業や協賛を集める部分を担当しました。一カ所ずつお声掛けをして協賛をいただく形になるのですが、「若年性乳がん」というテーマに対して、もともと啓発活動をされていたなど、親和性のある企業さんが多かった。誰一人知っている人のいない土地に飛び込んだのですが、今ではプライベートで和歌山に遊びに行くぐらい仲良くなりました。

【画像】映画『あつい胸さわぎ』場面カット (ター坊)

ところがコロナ禍での映画制作は、ロケ地が決まった後もすんなりとは進まなかった。いざ撮影期間に入るタイミングで、緊急事態宣言が発令。「誰一人コロナ感染者を出せない」という、強い緊張感が続く中で撮影は進められた。

恵水: 撮影は2021年の8月、ちょうどオリンピックの最中に行いました。その時期であれば絶対緊急事態宣言は出ないだろうと考えていたのですが、結果的に発令されることになり、行政に関わるロケ地がすべて使えなくなってしまったんです。直前でそれが決まったので、もしかしたらもう撮れないのではないかと震えましたね。

キャストは皆非常に忙しい方々で、そもそもギリギリのスケジュールを組んでいたため、リスケもできない状況。もし翌年以降の撮影になると、おそらく他の方に依頼しなくてはいけません。そこで絶対にコロナ感染者を出さないために、スタッフもキャストも基本的にはホテルから出ないで外食もしないことを徹底し、その他にも綿密な対策をしました。それによってまた予算は膨らみましたし、この企画の中で一番苦労したといってもいい大変な環境でした。

結果として1人も感染者を出さず、きちんと最後まで完成できたのは、正直なところ奇跡だと思っています。

「これが、映画づくり」
過酷な現場を支えたのは“映画人”たちのシンプルな想い

アクシデントを乗り越えて完成した映画は、第35回東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門に出品された。監督、キャストらと共にオープニングのレッドカーペットを歩いた恵水は、かつて、Cinema Art Onlineのメンバーとして、第29回と第30回の東京国際映画祭のプレスを担当。その際に同行したメンバーから「いつか恵水さんもTIFFのレッドカーペットを歩く側になるのでは?その暁にはその雄姿を必ずフォーカスします」と期待された未来が実現したことになる。

第35回 東京国際映画祭(TIFF) レッドカーペットイベント レポート

積み重ねた努力の上にたどり着いた舞台への感想を聞くと、恵水はプロデューサーの役割とリスクに言及しながら、その「奇跡」について語った。

恵水: 2016年にシネマアートオンラインに参加し、第29回の時に初めてTIFFを訪れて間近で勉強をさせていただきました。その経験も踏まえながら、僕自身、やはりずっと「いつか映画を出品したい」と思い続け、ようやくそれが叶った感慨はとても大きいです。続けてきて本当によかったです。

正直なところ、映画作りは非常に大変で、ほとんど博打に近い部分があると感じています。特に今の製作方式では、出資もして、例えばコロナなどで中止となった際には全責任を負わなくてはならない、プロデューサーの役割とリスクが大き過ぎるんです。

実際、今作でも撮影前のメインロケハン中に、何度もラインプロデューサーと企画中止の打ち合わせを行っていたと話す恵水。ここまでの制作費用がすべて負債になるかもしれない可能性を現実的に考えながらのロケハンは、メンタル的にもかなり過酷で「壮絶」ともいえる状況だ。

恵水: 撮影期間中、メインキャストの誰か1人にでも感染者が出たら即終了です。トラブルは他にも本当にたくさんあって、初期の段階でこのリスクを知っていたら、果たして僕は今作にベットできたのかと思うくらい、たくさん奇跡が重なった結果ここにいると感じています。最終的に作品を完成でき、出品して、TIFFに選出いただいた状況に対しては、「本当にすごい!やった!」という想いと「奇跡過ぎないかな」という想いが複雑に入り混じった感覚です。

幾重にも重なった壁を超えた末に掴み取った「奇跡」。精神的にも環境的にも厳しい状況の中、映画づくりを続けられた「芯」について言及すると、みえてきたのはクリエイターの原点ともいえる非常に純粋な想いだった。

恵水: リスクは非常に多い。けれど、それを乗り越えないと、TIFFのような舞台には立てない。結局のところ、これが映画作りなのだなと思います。

制作陣はみんな危機的状況に置かれまくって、今作は赤字になるだろうし、最悪完成もしないかもしれないと考えていたはずです。それでも最終的に心折れないで続けられた理由は、突き詰めると本当にシンプル。「いい作品を作りたい」という想いがあったからです。興行とか収益とか世間体とかの考えは最終的には何もなくて、真意はおそらくそこだけ。映画人はやっぱりみんなどこか純粋な部分があって、それぞれ役割や体裁は違っても「芯」の部分は変わらないように思います。それは、「絶対にこれを作らなければならない」「作って形に残すべきものだ」って使命感に近い想いでした。

第35回 東京国際映画祭(TIFF) Nippon Cinema Now部門『あつい胸さわぎ』舞台挨拶 レポート

映画に関わる“誰か”のために動きたい 
川上から川下までを担えるプラットフォームを目指して

プロデューサーとしての苦悩がありながら、映画人としての覚悟を見せた同氏。「使命感」と語った映画への想いの先に今後どんな展開を描いているのか。

前出の高橋泉監督の下、撮影監督を務めた映画『彼女はなぜ、猿を逃したか?』(2022年)はTIFFと同時期に開催された第23回東京フィルメックスへと選出。新たなステージへと進みつつある恵水に今後の映画作りと夢を訊けば、一風変わった経歴とともに、恵水を動かす原動力が見えてきた。

【画像】映画『彼女はなぜ、猿を逃がしたのか?』(英題:Why Did She Let the Monkeys Loose?) メインカット (撮影監督:恵水流生)

撮影監督を務めた映画『彼女はなぜ、猿を逃したか?』(Why Did She Let the Monkeys Loose?)

 

恵水: 僕は元々ファッションデザイナーからスタートしました。二十歳頃に立ち上げた会社で映画や舞台などの衣装を作っていたので、映画を観ることは一種のインプットだったんです。

そこから映画自体を好きになり、デザイナーと並行して役者業を始め、段々と仲間が増えて、社内にタレントマネジメント部門ができました。その頃から、こんなに芝居の上手な人たちがたくさんいるのに、世の中に出られていない状況がもったいないと思って、彼らをもっときちんとした場に出してあげたいと考え始めました。僕はおそらく「人が嫌いだけど好き」で、仲間はとても大切にしたいんです。ベースに彼らがやりたいことをできる環境を作ってあげたい想いがあり、それが大きな原動力になっています。

【写真】舞台「桜の記憶」リトアニア_衣装デザイン恵水流生 フォトグラフィ

衣装デザインと衣装制作監督を務めた舞台「桜の記憶」(リトアニア国立カウナス・ドラマ・シアター)

 

他者のため、仲間のために動きたい。その想いを大切にする恵水の目指すものは、やはり「人」に大きく関わっている。

恵水: 今後も時代の変化に合わせて、みんながやりたい道をどうしたら実現できるかを考え、広げていきたい。僕との映画作りに関わる人たちが全員ハッピーになってほしいです。
映画を作るために誰かが泣くのは嫌なので、もし“人柱”が必要なのであれば、その役割は自分が担うという覚悟で臨んでいます。犠牲になる人が出てしまっては、どれだけ良い作品を作れたとしても、それは違いますから。

また、誰かのための映画を作ることも一つのコミュニケーションだと思っています。映画作りには多くの人たちの「作りたい」という思いがあります。その思いを結集して完成させた作品を観てくれた方が共感したり、感想を言ってくださることはとても素敵なコミュニケーションです。それをずっと続けていきたいですね。

もちろん具体的な方向性として、自分で作った作品を国際映画祭に出品することは続けていきたいと考えています。一方で、自社には今、タレントマネジメント部門と映像制作部門がありますが、最終的に配給部門も加えて、上映をするところまでを手掛けていきたい。川上から川下までを包括したプラットフォームとして機能させることで、自分たちのクオリティを担保しながら、映画を作って上映できるようになります。

そうなればきっと世界中から映画に関わりたい人たちが集まってきて、さらに良い作品を作っていけるはず。それが、今の僕の目標です。

【写真】映画『狐の嫁入り』メイキングカット (恵水流生監督)

恵水流生監督作、映画『狐の嫁入り』の撮影現場

インタビュー《後篇》へ続く

映画『あつい胸さわぎ』恵水流生 インタビュー《後篇》

インタビュー《後篇》では、物語のキーとなったオリジナルキャラクターの魅力や秀逸なキャスティング、「サーカス」との共演の舞台裏など、作品の魅力についてさらに深堀します。

[取材・文: 深海 ワタル / スチール撮影・編集: Cinema Art Online UK]

プロフィール

恵水 流生 (Ryusei Emi)

監督・プロデューサー・俳優

1986年2月2日生まれ。愛知県名古屋市出身。

2008年、株式会社emir heartを設立。2013年にファッションデザイナーとしてリトアニアに赴任し、権代敦彦作曲のオペラ「桜の記憶」(2014年1月リトアニア国立カウナス・ドラマ・シアター)の 衣装デザインと衣装制作監督を担当する。その後表現の幅を広げ、主に映画、ファッション、アートの分野でディレクション及びプロデュースを手掛ける。

同時に俳優、モデルとしても活動する一方、この世界を切り取る独特な視点を持つ写真家、映画監督としていくつもの作品を世に送り出している。

2021年に初監督作となる短編映画『THE BELL』で第7回立川名画座通り映画祭グランプリ、第31回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭優秀芸術賞を受賞。第8回カンヌ短編映画祭、ダマー国際映画祭2021など各地の映画祭で上映される。

2022年にはプロデューサーを務めた映画『あつい胸さわぎ』が第35回東京国際映画祭 Nippon Cinema Now部門に出品されたほか、撮影監督を務めた『彼女はなぜ、猿を逃したか?』(監督:高橋泉)が第23回東京フィルメックス メイド・イン・ジャパン部門で上映。また、監督として第28回新潮新人賞を受賞した医学博士・画家・作家である小山右人の小説「マンモスの牙」を原作とした映画『牙の曲線』と、日本民話とフラメンコ舞踊を融合した短編映画『狐の嫁入り』を制作中。さらにプロデュース作品となる映画『ひみつきちのつくりかた』(板橋知也監督)と出演映画『フリークスの雨傘』(山本俊輔監督)が2023年秋頃に公開予定。

@emi_ryusei  ryusei.emi  emiryusei

【写真】恵水 流生 (Ryusei Emi)

映画『あつい胸さわぎ』予告篇🎞

映画作品情報

【画像】映画『あつい胸さわぎ』ポスタービジュアル

《ストーリー》

港町の古い一軒家に暮らす武藤千夏(吉田美月喜)と、母の昭子(常盤貴子)は、慎ましくも笑いの絶えない日々を過ごしていた。

小説家を目指し念願の芸大に合格した千夏は、授業で出された創作課題「初恋の思い出」の事で頭を悩ませている。千夏にとって初恋は、忘れられない一言のせいで苦い思い出になっていた。その言葉は今でも千夏の胸に”しこり”のように残ったままだ。だが、初恋の相手である川柳光輝(奥平大兼)と再会した千夏は、再び自分の胸が踊り出すのを感じ、その想いを小説に綴っていくことにする。

一方、母の昭子も、職場に赴任してきた木村基春(三浦誠己)の不器用だけど屈託のない人柄に興味を惹かれはじめており、20年ぶりにやってきたトキメキを同僚の花内透子(前田敦子)にからかわれていた。

親子二人して恋がはじまる予感に浮き足立つ毎日。

そんなある日、昭子は千夏の部屋で“乳がん検診の再検査”の通知を見つけてしまう。

娘の身を案じた昭子は本人以上にネガティブになっていく。だが千夏は光輝との距離が少しずつ縮まるのを感じ、それどころではない。「こんなに胸が高鳴っているのに、病気になんかなるわけない」と不安をごまかすように自分に言い聞かせる。

少しずつ親子の気持ちがすれ違い始めた矢先、医師から再検査の結果が告げられる。

初恋の胸の高鳴りは、いつしか胸さわぎに変わっていった…

 
出演︓ 吉田美月喜、常盤貴子、前田敦子、奥平大兼、三浦誠己、佐藤緋美、石原理衣
 
原作: 戯曲「あつい胸さわぎ」横山拓也(iaku)
監督: まつむらしんご
脚本: 髙橋泉
音楽: 小野川浩幸
配給: イオンエンターテイメント、SDP
制作: オテウデザール
 
2022年 / 日本 / カラー / 2K / 5.1ch / 93分
 
© 2023 映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
 
2023年1月27日(金) 新宿武蔵野館、イオンシネマほか全国ロードショー!
 
映画公式サイト
 
公式Twitter: @atsuimunasawagi
公式Facebook:@atsuimunasawagimovie
公式Instagram:@atsuimunasawagi_movie
 

映画『あつい胸さわぎ』公開記念舞台挨拶 レポート

映画『あつい胸さわぎ』主演・吉田美月喜 インタビュー

 

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