ひとりの芸術家の強いまなざしとその生涯を通じて描かれる、第二次大戦後の激動の時代。巨匠アンジェイ・ワイダ監督、渾身の遺作!
ストーリー
舞台は1945~1952年、スターリン主義時代のポーランドの都市ウッチ。前衛的な作品で有名なポーランドの画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキは、ウッチ造形大学の教授で学生たちに大変慕われていた。
しかし社会主義制圧によって、政府の意向に従わざるを得ない大学、そして文化省は”芸術は政治の理念を反映するもの”だという理念を芸術家や学生に強制していくようになる。それに対してストゥシェミンスキは己の芸術に妥協はせず、作品に政治を持ち込むことを拒み、独自の芸術の道を貫こうとした。こうした姿勢によりストゥシェミンスキは迫害され、大学教授の職を追いやられ、彼の作品は反社会的であるとして、美術館の壁からも作品が撤去されてしまう。
芸術家としての名声も尊厳も踏みにじられていくストゥシェミンスキだったが、いかなる境遇に追い込まれても、己の芸術に対する希望を失うことはなかったーーー。
戦後の社会主義制圧下で、信念を貫き闘った芸術家を描いたアンジェイ・ワイダ監督が最後に伝えたかったこととは――
アンジェイ・ワイダ監督はこの作品の完成後、90年の生涯を終えた。監督の遺作となった本作は、戦後の厳しい社会主義制圧下でも自らの信念を貫き、闘った芸術家の晩年の四年間が描かれ、そこには監督が最後に伝えたかった強いメッセージが込められている。
2016年の初夏、監督はこの作品についてこう語っている。「私は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体社会主義国家と、1人の威厳ある人間との闘いを描きたかったのです。1人の人間がどのように国家機構に抵抗するのか。表現の自由を得るために、どれだけの対価を払わなければならないのか。全体社会主義国家で個人はどのような選択を迫られるのか。これらは過去の問題と思われていましたが、今もゆっくりと私たちを苦しめ始めています。どのような答えを出すべきか、私たちは既に知っている。そのことを忘れてはならないのです」―――
現代の日本に暮らす筆者からすると、「なぜこんなにも国家に個人の表現の自由を奪い取られなければならないのか」、「国家にとって都合の良い芸術のみが芸術とされ、それに反発することで迫害され、職が奪われ、食糧配給も受けられず、何よりも必要な画材すら購入する権利を得ることができないなどということがあり得るのか」、と思ってしまう。しかしこのストーリーは事実であり、彼以外にも同じ思いを抱えた芸術家はたくさんいたであろうことは容易く想像できる。
そしてこのストゥシェミンスキというひとりの芸術家の晩年をスクリーンで観終わった後、ひとつの疑問と不安が浮かぶ。監督も述べているように、これを”過去のこと”として片付けられるのか、ということである。当たり前のようにある自分たちの表現の自由は、今後も永久に保証されているわけではない。
ストゥシェミンスキはこんな言葉を残している。「芸術には生活に加わる権利があり、生活には芸術を楽しむ権利がある。芸術とは、生活の重要な要素を見つけることであり、それらの抽象的な複製であるべきである。芸術とは、生活から分離したものではなくーーその中で機能し、それ自体が不可欠な構成要素なのである」と。
しかしこんなにも当たり前で大切なことを口に出すことも許されず、迫害された彼はひとり自宅兼アトリエのアパートでキャンバスに絵を描き続けていた。その作品が、太陽を見たときの視覚的反応を描いた連作「残像」であり、彼は病床についた後に病院を抜け出し、その作品を持って友人の元へ預けに行くというシーンがある。彼の芸術が反社会的であるとして、次々と美術館から撤去されていったり、新しいカフェの壁画となる予定の作品が完成後に壊されたりと、国家によって抹殺されようとしていたからだ。
“生活の中で機能しそれ自体が構成要素となる芸術”を掲げていた芸術家にとって、こんなにも悲痛な暮らしがあるものか、と思うが、彼はどんな宿命にも淡々と立ち向かい、その姿勢がブレることは最期までなかった。そしてその姿を誠実に描き切った監督の、確固たる想いとメッセージを強く感じた。
最期まで自らの芸術と向き合うことを諦めなかったストゥシェミンスキという芸術家と、最期まで素晴らしい作品を撮り続けてくれたアンジェイ・ワイダ監督に深い敬意を表したい。
映画『残像』予告篇
映画作品情報
監督: アンジェイ・ワイダ
脚本: アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ムラルチク
撮影: パヴェウ・エデルマンキャスト: ボグスワフ・リンダ ゾフィア・ヴィフワチ
配給: アルバトロス・フィルム
後援: ポーランド広報文化センター / 提供: ニューセレクト
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