映画『FOUJITA』レビュー
FOUJITA

映画『FOUJITA』

裸婦と戦争 ~FOUJITAと藤田のキャンバス~

《ストーリー》

1920年代のパリ。「乳白色の肌」を持つ裸婦を描く藤田嗣治は、たちまち「エコール・ド・パリ」の寵児となる。毎夜享楽的な生活を楽しみつつ時代の先端を切り拓き、モヂリアニやピカソ、コクトーやクローデルとも親交を深める。

しかし次第に戦争の足音が。パリ陥落を前に日本に帰国した藤田は、戦時色強まる中、従軍画家として戦地をまわり、戦意高揚を目的として多くの戦争がを描く。徹底した個人主義を貫いていた藤田が、戦時中の作画に求めたものは何か。彼にとって生きるとは、描くとは?

《みどころ》

どこからみても藤田嗣治としか思えないほど外見を似せたオダギリジョーに、まずは拍手。外見のみならず、うかがい知れぬ内面をふとのぞかせる役づくりも見事だ。

小栗康平監督らしい沈んだトーンはとりわけ日本の戦時中のシーンに生かされる。戦争が、人生から生活から色を奪うことを暗示して陰陰滅滅たる気分になる。

それにしても、藤田ほど個人主義を標榜していた男が、なぜここまで時世になびくのか。そこは映画を観るだけでは伝わりにくいかもしれない。ただ、自らが描いた戦争画の前にたたずみ、観客に敬礼するシーンは印象深い。

この映画と連動するように、東京国立近代美術館(竹橋)では「藤田嗣治全所蔵作品展示」が開催された(~12/13まで)。実際に「アッツ島玉砕」「血戦ガダルカナル」などの大きなキャンバスの前に立つと、泥まみれ血まみれ汗まみれになって折り重なり、誰が味方か敵かもわからぬ白兵戦の壮絶さに身も震える。これらの戦争画が「戦意高揚」のために描かれたなどとはとうてい思えないのだ。

軍というパトロンからカネを引き出して、「戦争」という画題をもらって、水を得た魚のようにキャンバスに向かう藤田の狂信的な微笑が見える。画家としての性(さが)であろう。そこに反戦もなければ好戦もない。画題を得て面白がり、納得のいく絵を描こうとする一人の天才がいるだけである。

戦後、彼は戦争に加担した画壇の責任の一切を代表してとらされる形で日本画壇を去り、フランスへ渡る。そして日本国籍を捨て、以降レオナール・フジタと名乗る。

彼を「日和見」と切り捨てるのはたやすい。しかし、「血戦ガダルカナル」の前にたたずめば、そこはシスティナ礼拝堂と同じ空気に包まれる。軍のためではなく、日本のためでもなく、絵のためにだけ生きる男の生の全うがそこにあった。

[ライター: 仲野 マリ]

映画『FOUJITA』予告篇

映画作品情報

第28回東京国際映画祭(TIFF) コンペティション部門出品

邦題: FOUJITA
 
監督/脚本/製作: 小栗康平
 
製作: 井上和子
    クローディー・オサール (Claudie Ossard)
 
出演: オダギリジョー / 藤田嗣治
    中谷美紀 / 君代
    アナ・ジラルド (Ana Girardot) / ユキ
    アンジェル・ユモー (Angèle Humeau) / キキ
    マリー・クレメール (Marie KREMER) / フェルナンド
    加瀬亮 / 寛治郎
    りりィ / おばあ
    岸部一徳 / 清六
 
2015年 / 日本=フランス / 日本語、フランス語 / カラー / 126分
配給: 株式会社KADOKAWA
© 2015 「FOUJITA」 製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション
 

2015年11月14日(土)より全国ロードショー!

映画公式サイト

この記事の著者

仲野 マリ映画・演劇ライター

映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、書くことが得意であることから映画紹介や映画評を書くライターとなる。
檀れい、大泉洋、戸田恵梨香、佐々木蔵之介、真飛聖、髙嶋政宏など、俳優インタビューなども手掛ける。
また、歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、舞台についても同じく劇評やレビュー、俳優インタビューなどを書き、シネマ歌舞伎の上映前解説も定期的に行っている。
オフィシャルサイト http://www.nakanomari.net

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