冨永愛×生駒芳子トークイベント
未来を拓く”ファンタジーとしてのファッション”
ファッション業界のトップランナーが語る、マックイーンとの思い出
センセーショナルなファッションショーで”ファッション業界の反逆児”と呼ばれ、若干27歳でジバンシイのデザイナーに抜擢、時代の寵児となるも40歳で突然自ら命を絶ったファッションデザイナー、 アレキサンダー・マックイーン。生前のプライベート映像や関係者の証言を中心にしたドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』が4月5日(金)より全国公開される。
服飾専門学校である文化服装学院の学生を対象に、ファッション誌『装苑』主催による先行上映とトークショーが行われた。
トークショーは、17歳から世界の第一線でトップモデルとして活躍した冨永愛に加え、VOGUE、ELLEを経てmarie claireの編集長を務めたファッションジャーナリスト生駒芳子が登壇した。
冨永は、マックイーン亡き後ブランドを継いだサラ・バートンのデザインした現在の「アレキサンダー・マックイーン」ブランドのスーツで登場。
マックイーンのショーに何度も出演したことのある冨永は、実際にマックイーンと仕事をした時のエピソード、生駒はVOGUE時代にインタビューしたときに垣間見えたマックイーンの素顔など、貴重な話が飛び出した。
映画の中では当時の実際のファッションショーの映像がふんだんに使われている。ステージ上に工業用ロボットを置いてその場でスプレーで色柄を描いたり、2000年代マックイーンのデザインや演出したショーは実験的で、着るだけで他の自分になれるような”ファンタジー”としてのファッションだったとふたりは思いを馳せた。
話は現在、そしてこれからのファッションの話題に。リアルクローズ中心の現在のファッション業界に風穴を空けるべく、マックイーンのように自由に発想の翼を広げてあっと驚くようなファッションを作ってほしいと未来のファッション業界を担う学生たちに希望を託した。
素顔のリー・アレキサンダー・マックイーン
生駒: 冨永さん、今着ていらっしゃるのはマックイーンブランドの服ですね?
冨永: サラ・バートンがデザインしている、今のマックイーンです。
生駒: 最近ではキャサリン王妃も着ているブランドになっています。 現在マックイーンのデザイナーを継いでいるサラ・バートンはどうですか?
富永: リー(リー・アレキサンダー・マックイーン)の遺志をきちんと引き継ぎながら、自分らしさを差し込んでいる気がしますね。サラはリーのことをすごく尊敬していたように感じます。
生駒: そうですよね。“リー・チルドレン”といいますか、リーのもとで仕事をしていて、彼が亡くなった後に自分のブランドを立ち上げたイリス・ヴァン・ヘルペンなども、リーのことをとても尊敬していると言っていました。
冨永: そういう形で遺伝子が続いているのを感じますね。
生駒:ところで、映画をご覧になっていかがでしたか?
冨永: 私はリーとは仕事したことがあるので、すごく寂しさがこみ上げてきましね。時代を担ってきたデザイナーで、才能も素晴らしいものを持っていましたし、唯一の存在でした。映画の世界観も、ドキュメンタリーとして当時の生のビデオとかも使用されていて、おもしろいなと思いました。素晴らしい映画でしたよね。
生駒: ファッション好きには刺さる映画でした。私もマックイーンがお母さんの葬儀の前日に自殺したとニュースで聞いたときは本当にショックで。ファッションのひとつの時代が終わったなと感じました。
冨永: 彼の人生、世界観がコレクションに反映されていることを改めて知ることができましたし、マックイーンの世界観をより忠実に再現しているなと思いました。
生駒: 冨永さんはリーに何回も会っていて、映画を観てなにか再発見はありました?
冨永: リーの生い立ちは知らなかったので…。イギリスから仲間を連れてパリに来たじゃないですか。リーって仲間をすごく大切にしてきた人で、そういう友情に厚い面を見てすごく嬉しくなりました。
生駒: サヴィル・ロウにお母さんの勧めで就職してからロメオ・ジリやタツノコウジさんのところに行っていたのは知りませんでした。彼がオートクチュールの世界で、お針子さんと一緒に仕事をして、ご飯も一緒に食べているというエピソードがありました。デザイナーはブランドのトップに君臨していて、職人たちとは一線を画すみたいな世界で、一緒にご飯を食べようなんてすごくリーらしくて素敵だなって思いました。
冨永: ああいうビックメゾンは、クチュリエハウスでお針子さんたちがドレスを縫っているのですが、彼らもクリエイターなのでショーを観るときなんか目がウルウルさせています。彼らを大切しているのは素敵なところですよね。
生駒: 映画の中では彼が実際に布を裂いたりいじったり、細かく自ら手を動かしているシーンも素敵でした。作ることが本当に好きな方だったのですね。
時代の寵児、デザイナーとしてのマックイーン
生駒: 愛さんは数々のキャットウォークに出演されて、多くのデザイナーさんとお会いされているじゃないですか。中でもマックイーンはどんな存在でした?
冨永: マックイーンとジョン・ガリアーノと神のトム・フォード。当時の時代の顔の3人ですよね。マックイーンはモデルの中でも絶対ショーに出たいという存在。マックイーンのショーが決まるのはアメリカンドリームじゃないけど、目標の一つでした。
生駒: 特別な存在でしたよね。芸術に近いっていうか。
冨永: 今、リアルクローズの時代に振り返ると面白い映画ですよね。ファッションの流れってマックイーンが最後に活躍していた2000年くらいを越えてから、リアルクローズにシフトしてビジネスのプレッシャーが強くなったように思います。
生駒: 私もファッション雑誌をやってきた身からすると、少しクリエイターを圧迫していないかなって思うことがあります。クリエイションの翼が縮こまってしまわないかなって。今、(クリエイションの)黒い翼を羽ばたかせているマックイーンの映画を見るってすごく意味があると思うのです。
冨永: 黒い翼(笑)。リーは黒い翼でした?コレクションの映像を見るのもおもしろいですよね。このショー出たかったなーと思いました。
生駒: ロボットがペインティングするショーとか!愛さん自身が出ていらっしゃるショーもありましたね。出演した時にバックステージでデザイナーさんとやり取りするじゃないですか。マックイーンはどうでした?
冨永: 映画の中にも出てきた、私がトリを飾らせていただいたショーがあって、透明のトンネルの中にものすごい大きな扇風機が設置されていて、重い大きな布団のようなコートがたなびくくらいの強風の中ウォーキングしました。「ぜひ愛にやってほしい」と連絡をもらったときは、すごく嬉しくて、「やります!」ってふたつ返事でした。リーって自分の世界観の表現にすごくこだわりを持っていて、どういう風に表現するか、すごく指示が細かかったです。その中で、「愛に任せるけど、ひとつだけやってほしいポーズがある」と言われて、今でいうイナバウアーのような背中をそらせるポーズをぜひやってもらいたいって。
生駒: 達成感はありました?
冨永: ありましたねー。後にも先にもああいう体験は他になかったですね。忘れられないショーです。懐かしいですね。これはここだけの話ですが、あの時全身を青に塗っているんですよ。髪も腰までのエクステを付けている状態で。ショーのあとアメリカンVOGUEの撮影をして、終わってバックステージに戻ったら誰もいなくて。体は真っ青だしエクステも付いているし、撮影のスタッフさんが一生懸命落としてくれているところに席をはずしていたリーが来て、泣きながら「本当にごめん」って。「ショーに出てくれてうれしかった」って言ってくれました。
生駒: 私も一度インタビューしたことがあります。1997年くらい、ジバンシイのデザイナーに就任した直後くらいに、ロンドンのアトリエに行きました。彼がコム・デ・ギャルソン好きって知っていたので、ギャルソンのドレスで行ったんです。部屋に入ったとたん「ワーオ!コム・デ・ギャルソンでしょ!!!」ってすごく喜んじゃって、「僕も持ってるよ!」って部屋の奥に駆け込んでいって自分のギャルソンのシャツをハンガーごと持ってきて見せるんです(笑)。これもいいでしょ、あれもいいでしょって。さらに部屋の奥にはギャルソンのコレクションがあるらしくて、本当に好きなんだなと思いました。その後のインタビューで、「小さい時はどんな少年でした」って聞いたら、「小さいころから絵ばっかり書いていた」っておっしゃって、「教科書は全部絵で埋まっているんだ!あ、ママが持っているかも!」と言って、そこでママに電話してくれたのですが、ママは「全部捨てたわ」って。すごく落胆しちゃって。
冨永: かわいい!
生駒: 当時のリーはまだふっくらしていて、ジバンシイの話を聞いても「僕には別世界じゃない。でもすごく刺激を受けていて、スタッフも良い人で楽しい」って子供のように話していて。ただ、作ることが好きな人だから、「ビジネスとバランスをとっていくのは大変だよ」っていうのはその時にもおっしゃっていました。それはすごく忘れられなくて。愛さんが会われたのは2004年とか、もう少し後ですよね。映画の中でも後半苦しいような時期が描かれています。
冨永: 私がショーのトリを飾らせていただいたときにはリーは結構痩せていた時でした。やっぱりものを生み出すっていうのは「生みの苦しみ」という言葉そのままで、苦しい作業です。ファッションはクリエイションとビジネスが密接な関係にあります。彼はすごく素直な人だから、自分自身の生い立ちや自分の感情をそのままクリエイションに活かして、自分自身をベールに包まず出していた。
生駒: 私は、リーはアーティストだと思っています。アーティストは誰に頼まれなくても内なる思いを形にしますが、ファッション業界を見渡しても意外とそういう人っていなくて、20世紀初頭のスキャパレリくらい。そこまで遡らないといけないくらい、作品性が強い人で、あそこまで純粋に自分のエモーションをドレスにしてしまう人っていうのはいないのです。
冨永: ウィトキンの写真をモチーフとしたコレクションの時は相当苦しかった時だと思います。
生駒: 2001年宇宙の旅と精神病棟が重なっているという状況自体がもうアートですよね。
冨永: 中のモデルからも外が見えにくいという特異な状況を想像したら、自分も歩いてみたいと思いました。
生駒: ホログラムのショーは現場にいたのですが、魔女降臨みたいでぞくぞくしました。デジタルの効果で表現していて、舞台に上がってマックイーン宇宙に自分も参加しているような感じでした。あと、(マックイーンの後援者である)イザベラ・ブロウとはVOGUEの編集者として会ったことがあります。彼女が東京に来たとき、何日かアテンドして行動を共にしましたが、見た目だけじゃなくとってもアバンギャルドな人で。あの頃のパリコレは「彼女が座るとショーが始まる」と言われていたくらい、シンボリックな人でした。彼女がマックイーンの魅力を見出し、卒業展にお金を援助したことで彼が世に出られたということですが、パリやイギリスにはああいう才能を認めてサポートをする人が存在するのですよね。
マックイーンの描いた、負の面も呑み込んだ美の世界。冨永愛にとっての美とは?
生駒: 彼の描く美しさって、単純に甘くて綺麗ではなく、破壊や冷たさ、鋭利な刃物のような怖さがあって、人間みんなが持っている不条理や闇をすごく美しく表現している。愛さんは私たちにとって美の象徴ですが、愛さんにとっての美しさって何ですか?
冨永: すごい質問きましたね(笑)。“美”って人それぞれじゃないですか。私はモデルだからなのか、綺麗汚いという簡単なことではなくて、作品がどうであるか。デザイナーの作りだす世界観にどう入り込んで演じることができるか、表現できるかを追求しています。
綺麗を追い求めると全部同じになっちゃうと思います。作品としてどうなのか、ということを私はいつも考えていますね。モデルはどんな無理難題を言われても、その世界観を表現するのが仕事なのでノーと言う人はいません。無理しないで当たり前のことをやっていても新しいものは産まれないので。私たちモデルも、デザイナーの作り上げる世界観に自分たちも入っていくという芸術に対する気持ちがあります。
生駒: なるほど、プロの意見ですね。生き方がすべてつながってくるということですね。リーは私生活もいろいろ苦しいところもあったようです。例えばゴッホのように、美しいものを作る人は、私生活では苦しい思いをしても、私たちに素晴らしい世界を残してくれる人がいて、リーもその一人だったのではないかと思います。世界を自ら産み出してくれた。その世界観がサラ・バートンをはじめ、DNAを継いだクリエイターにつながっている。もしかしたらこの会場にいらっしゃる人がチルドレンズ・チルドレンになるかもしれません。
これからのファッション業界はどう進んでいくか
生駒: 愛さんは今年でモデルとして活動して20年です。流れていく時代に、これからのファッションはどうなっていくかというお考えはあります?
冨永: つい先日終わったAmazonファッションウィークで、いろいろ見させていただきましたが、今の主流はやっぱりリアルクローズですよね。
生駒: マックイーンやガリアーノがいた1990年半ば頃から2000年前半までは、モードってファンタジーで、シアトリカルで、プレタポルテにも着られないような服が山ほど出ていた気がします。今は着難い服ってオートクチュールくらいしかないですよね。オートクチュールは今でも実験の場にもなっていますよね。
冨永: 若いモデルの若い才能の挑戦の場にもなっています。
生駒: リアルクローズがすべて悪いわけではないのですが、ファッションの進化としては壁を破らないと次のステージにはいけないと思います。私はジャーナリストの目として、クリエイティブな作品がみたいなと思ってしまいます。
冨永: 私は、ファッションは“夢”、マジックだなと思っています。リーを継ぐようなデザイナーの登場を心待ちにしていますね。
生駒: 彼のような人がのびのびクリエイションの翼を広げられるような時代がまた来たらいいなと思います。今はいろいろなことで、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないといういろんなルールがあって、20~30年前、ましてや50年前に比べると、クリエイションの現場が置かれている状況は違ってきているように感じます。(デザイナーの卵の)みなさんは、それが当たり前だと思って翼を縮め過ぎないようにしてほしいと思っています。ファッションはファンタジーですよね。
冨永: 私もファンタジーだと感じています。私もこの仕事に出あえてよかったなと思うのは、現実ではないものに触れてこられたこと。それが力になっていると思います。だから、恐れずに表現をしてほしいですね。
生駒:これからジャパンファッションウィークやパリコレに挑戦する方が出てくるかもしれない、“ファッション業界の卵”にメッセージをお願いします。
冨永: 「あっ」と驚くものを見せてもらいたい、と思います。
生駒: どんな服を着ると気分が盛り上がりますか?
冨永: モチベーションが上がる服ってありますよね。「こんな自分がいたんだ」って思うような、まだ見たことのない自分にしてくれる服ですね。そういう服は20年もモデルをしているので着倒しちゃいましたが、先日若いデザイナーのショーでアフロヘアーのカツラを付けたときはワクワクしました。これから若いデザイナーのショーにももっと出たいと思っています。
生駒: 愛さんは新しいことに挑戦するのがお好きでらっしゃるから。愛さんのようなトップモデルがワクワクする服、待っています!ファッションの歴史を振り返ると、いつの時代も最初にアクションを起こした人は半分くらいバッシングされています。クリスチャン・ディオールだって戦後の疲弊した世の中に、ふんだんに布地を使用した服は贅沢過ぎると批判されました。だけどそれが次の時代のスタンダードになっていく。コム・デ・ギャルソンもそうです。パリは“ブラボー”とバッシングが同時に起きる街で、逆にバッシングがないと不安になる。大人の世界で、ビジネスのプレッシャーとか、コマーシャルや効率とか、いろいろあって無視するのは難しいと思いますが、若さの特権で、失敗を恐れずにどんどんチャレンジしていってほしいと思います。
冨永: 私が初めて海外に行ったときは、恐れを知らずに、出た勢いでそのままNY、ミラノ、パリと周りました。若い時の「恐れ知らず」な気持ちってすごいパワーだと思うんです。経験や知識が蓄積されると結果が予測できてしまうので、今の方が怖いと感じてしまいます。若いパワーを使って、恐れずにどんどん前に進んでもらいたいと思います。
生駒: 私も全く同じで、失敗を恐れないで。むしろ失敗してください!意図して失敗する必要はないけれど、恐れずにクリエイションの翼を羽ばたかせてほしい。この映画に感動した気持ちを携えて、次の時代のリーになってほしいと思います。
[スチール撮影: Cinema Art Online UK / 記者: 金尾 真里]
《イベント情報》映画『マックイーン:モードの反逆児』冨永愛×生駒芳子トークイベント
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映画『マックイーン:モードの反逆児』予告篇
映画作品情報
《ストーリー》〈ファッション界の反逆児〉と呼ばれながらも、 デヴィッド・ボウイやビョーク、レディー・ガガからキャサリン妃にまで愛されたアレキサンダー・マックイーン。 ロンドンの労働者階級の街イーストエンドに生まれ育ち、日々の食費にも困っていた青年が、失業保険を資金に23歳にしてファッションデザイナーとしてデビュー。次々と開いたセンセーショナルなショーは、大絶賛とバッシングの真っ二つに分かれ、彼の名前〈アレキサンダー・マックイーン〉は、たちまち世に広まった。そして1996年、弱冠27歳で、エレガントで名高いパリのグランメゾン〈ジバンシィ〉のデザイナーに抜擢されて世間を驚かせる。 一方で、自身のブランドのショーはますます過激になり、〈モードの反逆児〉と名付けられるが名声は高まるばかり。34歳だった2003年には英国女王から大英帝国勲章(CBE)を授与されるまで上りつめる。ところが、富と名声の絶頂期にいた40歳で突然、自ら命を絶ってしまう。いったい彼はどんな人物で、いかにして現代のおとぎ話のような成功を果たし、なぜ燃え尽きてしまったのか? |