チームで作り上げることで引き出された、自分も意識していなかった“自分”
チームで作り上げることで引き出された、“表現したいこと”
この映画の特長として、物語の前半と後半、二部構成のように意識や視点の変換がある。それには、長い製作期間を経てチームで話し合うことで表現したいものの変化もあったという。
永野: 僕は世に出たときに、モデルが自分の美しさを際立たせるために、「一緒に(永野さんの)決めポーズを取ってください」と言われて利用されているなと感じることがありました。その時の“美”に対する気づきや、自分の中の外見に対する思いみたいなものが心の中にあって、最初はカタカナでいうところの「オシャレ」ってことをバカにしているような部分を女性モデルの登場人物を通して描こうとしていました。でも、制作や配給をしてくれる会社がなかなか見つからず、完成までに2~3年かかってしまって。ミュージシャンが発表しない歌を作っているような気持ちで「どうせこれ発表しないだろう」とどこかで思いながら、純粋に作りたいものを作る部分もあり、逃避もあり…。
ストレスから逃げる意味で清水監督や周りのカメラマンさんなどのすごい方たちと話していくうち、人間の内面的なことや、他の人たちの行動が嘘っぽく見えたりすること、描きたいものが深く掘り下げられていった。
僕の中での心変わりを、監督や斎藤くんが上手にコントロールしてくれましたね。
だから、制作の経緯もちょうど映画の流れに似ていて、外見の話から入って、どんどん内面にフィーチャーしていったのは、自然な流れだったと思います。意識や視点の転換みたいなものは狙ってではなく、そうなっちゃったという感じです。
斎藤が演じることで客観的に観ることができた整顔師の中の”自分”
物語全編を通して中心となる、斎藤演じる整顔師の男は、永野の内面や側面を集約させたような役であるという。永野は整顔師の助手を演じている。
永野: (自身の内面の象徴のような役である)整顔師を斎藤くんに演じてもらったのは、もちろん自分の演技力の面もあるのですが、制作中、そもそも整顔師の男に自分の要素が集約されているということに僕は気づいていなかったんです。
車が路肩の溝に嵌まったシーンで、「降りて後ろから押してくれ」と言われて整顔師が車から降りるときに、斎藤君がアドリブで「クソ、面倒くせーな」って言っていたのを見た時に「あ、これ俺だ」と気づきました。それで、駆けつけて斎藤君に「これ、俺だよね?」と聞いたら「永野さんの精神性を僕は演じています」と言われた。だから逆に斎藤くんが客観的に演じてくれたことで、「僕なんだ」って気づいた感じですね。
正直に表現していることには共感できるという、芸術的な感覚への気付き
“オシャレ”に対するアンチテーゼも含まれたテーマを持つ本作、ファッションブランドのCMなどの映像も手掛ける清水監督の“オシャレ”にディレクションされた映像を観て、嬉しかったと語る永野。そして、“オシャレ”なスタッフと触れ合ううちに、気づいたこともあったという。
永野: 清水監督が連れてきてくれたすごくおしゃれなスタッフの人たちが、僕の大衆的でドロっとした土着的な考え方を好きだと喜んでくれたのは嬉しかったですね。本当におしゃれな、素敵なアートを生み出す人たちは、絵に描いたような「ザ・オシャレ」が良いという感覚とは違うのだと気づいたのは目から鱗でした。正直オシャレとかブランドとかは僕自身はよく分からないのですが、芸術的な感覚って自分が何か正直に表現していると共感できる部分があるというのが分かったのは発見でした。
事故のように生まれたチーム ― 次があるなら、滾る思いを糧に「行くしかない」
永野、斎藤工、金子ノブアキ、清水康彦を主要メンバーとする映像クリエイティブ集団「チーム万力」は、永野が地下ライブで演じてきたコント群を短編映画化してきた。映画『MANRIKI』は、グループ初の長編映画にして、その名に冠した“万力”を題材としている。『MANRIKI』が完成した今、「チーム万力」のこれからをどのように考えているのだろうか。
永野: このチームは本当に事故みたいなものだと思っているんです。気づいたら生まれちゃったみたいなものなので、次もあったらいいなと思いますけど、それも事故みたいに起こったら楽しいだろうなと思います。
「じゃあ、次はこうしましょうか」みたいな形だとちょっと違うなと。ちょっと「置きにいく」みたいな感じで、惰性とか慣れとかが出て、何か大切なものが失われてしまう気がするんです。
今回は余裕やあそびがある、ニュートラルな企画だったので、次もそういう感じでできたらいいなと思います。何か滾る思いがあって「行くしかない」状況になったら、また面白いことができるのではないかと思います。