映画『MANRIKI』斎藤工 × 永野 インタビュー

【写真】斎藤 工/齊藤 工 (Takumi Saitoh)

 

“ルールブック”を破り、映画本来の自由さを形に

永野の“コンプレックスの質”を信じて突き進んだ

万力で女性の顔を小さくする整顔師を通して、日本人が抱える美しさ(醜さ)への感性や自己評価の脆弱さを浮き彫りにする今作。製作にあたり一つの軸として信頼したのは、永野のネタの中に内包される“コンプレックスの質”だったという。

斎藤: 永野さんのネタはコンプレックスを元に作られている気がしていて、他人ごとのはずなのに、どこかで「これは自分だ」と思ってしまう瞬間があります。僕は、映画における美しいものやかっこいいものはすべて一時的なファンタジーだとどこかで思っていて、リアルな現実はその後の、例えば洗面所の鏡に映った自分の姿にあるんですよね。ネタを通してそんな瞬間やギャップを描いてくれる人だから、彼が持つ“コンプレックスの質”をすごく信頼できました。そこがファンになった理由の一つでもあるので、美しさの裏側やギャップなどの側面をきちんと持った作品にしたかった。

映画には「きれいな自分」を演出しながらも、どこかいびつな人々が登場。“普通の人”までもが日常をエンターテインメントにしようとする現代社会の一面を見ているようでドキッとするが、だからといって素直に感情移入をしにくいところが一つの妙なのだとか。

斎藤: 今話題の映画『ジョーカー』(2019年10月4日公開)やNetFilixオリジナル「全裸監督」(2019年8月8日より配信中)は、主人公の葛藤や弱みのようなものが描かれていて、観る人は“主人公目線”になれます。でもこの映画では、ヒロインもかわいそうに思える反面タクシーの運転手に無礼な態度を取ったりしていて、ほとんど誰にも感情移入できない。そうすると今度は(映画を観ている)自分自身の感情や感覚と向き合うしかなくなりますよね。残酷だけど、そういう映画本来の観方ができるものになったと思います。

【写真】永野&斎藤工(齊藤工)

映画“産業”にはじかれたことが、逆にこの作品の個性の証明に

着想から完成まで実に3年。背景にはいくつもの映画会社から製作を断られた経緯がある。斎藤は今の“日本映画産業の法則”が障壁になっていると分析する。

斎藤: 俳優として映画作りに関わってきた中で、今の日本には映画産業を赤字にしないための法則やルールブックみたいなものがあると感じていました。例えば公開できる劇場や宣伝方法を持っていることもその1つで、システマチックに作品が作られることでよくも悪くも産業が成立している。でも映画って本来はテレビでできないことをやるもの。でないと映画館に行く価値が生まれません。僕が昔から見てきたアクの強い映画はそのシステムから逸脱したところで生み出されていました。今はテレビとの線引きがなくなっているので、作品の内容的にも劇場に足を運ぶ意味が薄れてしまった。

「映画本来の自由とアート表現を含んだ作品が日本でも生まれるべきだ」と割り切れない思いを抱えていた中で、(着想のきっかけになった)ファッションショーの夜に偶然永野と話をした。

斎藤: あの夜噴き出すようにあふれ出していた世界はこれまで映画で見たことのないもの。永野さんの発想は、かつて僕が影響を受けてきた北米などのカルト映画に近くて、映画“産業”からははじかれてしまう、逆に言うとそこになじめない個性なんです。

制作が困難だったからこそ、僕の中ではこの作品の価値が確証に変わっていきました。子供の頃たくさんあった「なぜこれが作られたのだろう」というような作品は、海外の著名な映画祭で賞を取ることもあった。これは確実に形にするべきだと3年間思い続けたのでとても満足しています。

【写真】斎藤 工/齊藤 工 (Takumi Saitoh)

ドロっとした“土着的な発想”をおしゃれに撮るアートワーク

極彩色の幻や、翼のような形に広がっていく大量の血。永野が「僕のドロっとした土着的な発想を驚くほどおしゃれに撮ってくれた。アートを生み出す人の感覚に目から鱗」と語る映像と、日常を生々しく切り取った場面の秀逸なバランスはどのように生み出されたのだろう。

(※永野のインタビュー詳細は次頁に掲載)

斎藤: 今回は生々しさも含めて、荒井さんが撮影監督だったのが大きかったです。普段はファッションフォトを手掛けている大御所の方。例えぼろぼろのアパートの場面でも、画角や配置には一つずつきちんとしたアートディレクションがされています。海外セールスまで視野に入れたとき、その生々しい部分とアートワーク強めのシーン、両方が“うまみ”として伝わってほしいと思った。それはオダギリ(ジョー)さんが『ある船頭の話』(2019年)で、日本人ではなく海外の方に日本の美しさを撮ってほしいと言った感覚に少し近いかもしれません。

今回の企画は下手をすると、いわゆるB級スプラッターに集約してしまう可能性があった。そうではなく、しっかりとしたアートチームで作ることに一つの意味があると考え、座組みにはこだわりました。結果、このチームの画力ならロケでもスタジオでもチープに撮られることはないだろうと信じられたんです。

【画像】映画『MANRIKI』場面カット2

表現者・永野の本質的な魅力が人を呼ぶ「誰も彼を“ラッセンの人”とは思ってない」

斎藤: みんな永野さんのファンなんです。彼の魅力を本質で理解している人たちが集まってきた。神野さんも今までたくさんの演出家と仕事をされてきた方ですが、出会ったことのないタイプだと衝撃を受けていました。

金子や前出の荒井撮影監督にとどまらず、実力派の俳優を巻き込んだ作品作り。齊籐監督作の『blank13』(2017年)で主人公の母親を演じ、静かな存在感を発揮した神野美鈴もその一人だ。今作では茶髪にカラーコンタクトでギャル風味という衝撃的な“若作り”をして、整顔師を誘惑する。

(隣の永野が「僕、神野さんに『“負けないぞえ”って言ってください』ってお願いしましたから」と笑う)

斎藤: そうそう(笑)。他にも本人が台本から構築してきた演技プランを平気で覆すようなことを演出で入れるんです。そしたら彼女もどんどんのめりこんでいって、そうやって関わる人がみんな永野さんの本質的な芸術性みたいなところにふれていって作られました。誰一人「(永野を)ラッセンの人」って思って現場に関わっていなかったのが、このクオリティーにつながったのだと思います。

【写真】永野&斎藤工(齊藤工)

チームで作り上げることで引き出された、自分も意識していなかった“自分”

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