映画『銀河鉄道の父』田中泯 インタビュー
【写真】映画『銀河鉄道の父』田中泯 インタビュー

映画『銀河鉄道の父』

喜助役 田中泯 インタビュー 

この映画は「魂」の話
田中泯が見つめる「人間」と、演技の本質 

映画『銀河鉄道の父』が5月5日(金・祝)より全国公開される。

無名の作家のまま37歳の若さで亡くなり、その死後、遺した詩や物語が世界中で愛され続けている宮沢賢治。彼の作品が広く知られるようになった陰には、息子である賢治の才能を信じ続け、死後にも世の中に作品を送り続けた父の存在があった。

【画像】映画『銀河鉄道の父』

原作となったのは、賢治が実は“ダメ息子”だったという大胆な視点から、そんな彼への無償の愛を貫いた宮沢家の人々を描き、第158回直木賞を受賞した門井慶喜の同名小説だ。映画『八日目の蟬』(2011年)、『いのちの停車場』(2021年)などで、人と人とのふれあいや絆を通して人生の豊かさを描いてきた成島出監督がメガホンを取り、実写映画化が実現した。

賢治の父親で主人公となる政次郎に扮するのは役所広司。青年期の賢治役に菅田将暉、賢治の創作の原動力ともなった妹のトシを森七菜、母親のイチを坂井真紀が演じ、弟の清六には豊田裕大が抜擢された。

そして、賢治の祖父で、岩手県花巻市に家業となる質屋を始めた喜助役を演じたのが、制作当初から成島監督がイメージしていたという田中泯だ。前出の2作品でも深い人間性を感じる印象的な演技で存在感を示した田中は、本作のどこに惹かれどのような想いを持って携わっていったのか。「俳優は“人間”をやる仕事」と、演技に対しても、映画の中で描かれるものに対しても、常にその本質を見つめ続ける田中に話を聞いた。

子どもの頃から親しんだ物語 
「宮沢賢治」に惹かれて出演を決めた

幼いころから宮沢賢治作品に親しんできたという田中。成島監督から本作の話を聞いた時に惹かれたのも、「宮沢賢治」その人だったという。

田中: 子どもの頃から「注文の多い料理店」や「風の又三郎」などさまざまな物語を読んできました。後に「農民芸術概論綱要」という農業にまつわる書籍も読み、自分で書き写してみたりもして、とても感動しましたね。彼は、あの時代の農業にある種近代的な土の問題や植物の問題、そのほかさまざまな問題を提示し、地域の方たちに大きな影響を与えていたのだと思います。成島監督がこういう作品を撮ろうとしていると誘ってくださった後に、原作を読ませてもらい、家族に焦点が当てられていて「なるほど」と思いました。出演理由はそこに尽きますね。

タイトルにもあるように、本作では「父」政次郎の視点を通した宮沢賢治の姿、そして父子を中心とした家族の姿が描かれる。その中で祖父、つまり政次郎に対してのもう一人の「父」として登場するのが喜助だ。

本作における喜助の姿は、成島監督が田中をイメージした「あて書き」で描かれたという。演じた田中自身に彼をどのような人物と捉えていたのかを訪ねてみると、一言「分からないですね」と即答された。その答えには、田中の「一人の人間を演じる」ことに対する根本的な考え方が感じられた。

田中: これはドキュメンタリーではなく、作られた物語なので、喜助の若い頃も中年期も壮年期も、正直なところ分かりません。監督が作りあげた老人としての喜助を、僕なりに一生懸命演じるというだけです。記述されたものから空想するしかないし、僕の演技も彼の人生の数%しか表せません。僕の空想の中から出てきたものと台本が導いてくれる感情や理屈を話すことで、そこに喜助のどんな部分が表れてくるかではないかと思っています。

【画像】映画『銀河鉄道の父』喜助 (田中泯)

作中の父子像はあくまで一つの提案 
観客が何かを感じ、考えることがあるならばそれが狙い

喜助は本作の中では規律や上下関係を重んじ、「質屋に学問は必要ない」と息子や孫の進学を一言でつっぱねる、明治の時代の家長として登場する。一方の政次郎は賢治への溢れる愛に自らも少し戸惑いながら、自分とは違う道に進もうとする息子と向き合い、理解しようとする。この作品から見えてくる「父と子」を田中はどのように考えていたのだろうか。

田中: この物語の中の「父」も、あくまで、ある一つの父の姿にすぎません。この映画が親子像や家族の何かを代表しているということではなく、一種の提案をしているだけです。一つのモデルとして捉えるものだと思いますし、モデルにできるような自由度で観てほしいということだと思います。これを観た方が、それぞれに何かを感じたり、考えたりすることがあったとすれば、それがすなわち映画の狙っていることではないでしょうか。

【画像】映画『銀河鉄道の父』場面カット10

言われてみれば、本作に限らず、映画を観てどのような捉え方をするかは観客にゆだねられるものだ。その自由度がなく、何かの「正解」を求めて観るのでは作品の世界は広がっていかない。特に人の数だけその形が異なる家族の姿であれば、なおさらと言える。

さらに田中は映画の中に喜助が登場する意味とその中で描かれる関係性について、思案するようにしながら言及した。

田中: この映画で描かれているのは、何か壁のようなものがあって、そんなふうに自身の考えを話し合うことが不自由だった時代です。そうした不自由は父と子の間にも起こりえるだろうし、この映画にはそれよりもさらに前の世代の喜助がいる。違う時代を生きてきた人(祖父)の存在すら知らず、お父さんとしか付き合えない子どもたちもいるでしょう。おじいさん世代を知っている子どもと、全く知らないまま自分もおじいさんになっていく人では、感覚がまた少し違ってくる。そこが、本作に喜助が登場する意味かもしれませんね。

喜助は物語の最初の方でいなくなってしまうので、短い時間ではありますが、少なくとも彼がおかしくなった時に一生懸命止めようとする賢治やトシ、そして最後の政次郎に向き合う姿、が描かれていたことで十分見えてくるものがあると思います。映画ではその前の場面で喜助と彼らの関係を詳しくは見せていないけれど、観客の方はおそらくその関係性を空想してくれるはずですから。

ただ僕自身は、結局のところこれは「魂」の話であって、「父」や「親子」の具体性の話ではないと思っています。どんな親子でもあっても、祖父と父、そして孫は本作で描かれているように「魂」を交換しながら成立しているのだろうなと考えています。

【画像】映画『銀河鉄道の父』場面カット (喜助/田中泯)

それぞれが準備し、持ち寄ったものをぶつけあう 
“宮沢家”の姿を広げる一場面に、打ち合わせは不要だった

「魂」の話。確かに本作で菅田が演じる賢治は、繊細で純粋で不器用な「魂」の求めるままに自分の進むべき道を探し、時に家族を振り回してしまう青年のように感じられる。政次郎も厳格な父であろうとするが、その賢治の魂とそこから生まれた物語にふれ、いつしか息子との交流を通して自分自身の魂とも向き合っていく。

さらに、トシのしなやかで強い魂、そして喜助の内側に秘められていた想いまでもを感じられるのが、田中が話した、喜助の認知症が進み家族を前に暴れ出してしまう場面だ。トシに頬を張られた後抱き締められた喜助は、そこで息子・政次郎に関わる素直な想いを口にする。父子の関わりだけにとどまらない「宮沢家」の関係性、それぞれの人物像が一気に奥行きをもって見えてくる同場面は、監督とも役者同士も特に打ち合わせを行わずに撮影されたという。

 

田中: あの場面の撮影においては、特に監督とも森さんとも話をしていません。演者はみな、かなり前から準備をしていますからね。現場に行って突然演技をするわけではなく、それぞれの中で役についてたくさんのものを空想し、こっそり試したりしているはずです。それを各自が持ち寄ってぶつけあっているので、細かな打ち合わせなど無くても出来上がるシーンだったのだと思います。

その中で喜助が最後につぶやく言葉がありますよね。それを口にした時、彼はまさに「親子」へと到達したのだと思います。あの場面では、父(政次郎)と息子(賢治)の関係性という振幅だけでは抱えきれない、「宮沢家」の姿が広がっていた。そういう意味でおじいさんの存在は必要条件だった気がします。

役者は“人間そのもの”をする仕事

主演の役所とは、『峠 最後のサムライ』(2022年)に続く親子としての共演になる。厳格な父であろうとしながらも愛らしさや人間くささがにじみ出し、大きな愛で賢治を包み込む政次郎のキャラクターは、トシの死や賢治の苦しみ・葛藤が描かれる本作においても温かな世界観が構築された礎となっている。そんな役所の演技について聞いてみると、田中は「演じる仕事」への本質にふれながら、リスペクトを口にした。

田中: 役所さんは本当に役者さんの典型のような方で、とても尊敬しています。僕なんかは彼から見たらもうひよっこですね。経験が圧倒的に違うし、これまで役者になろうと思って生きて来たわけではない僕は、おそらく永久に演技では勝てないのではないかと思います。役所さんの仕事は、「人間そのものをしている」と感じます。怪獣でもなければ、自分が想像もつかないような人を演じるわけでもない。何かが少しズレていたら、自分もこうなっていたかもしれない、と思えるような人間の一人を演じているわけです。

「演じる」ということそのものがつまり、「人間として生きる」仕事なんですよね。見当違いなことをするわけでは全くない。だから、今作で役所さんとは特に撮影についての話や打ち合わせは全くしませんでした。違う作品であればそういう必要が出てきたかもしれませんが、そもそもの演技という本質に対する打ち合わせは必要ないんじゃないでしょうか。あえて話をしなくても、実はその深いところで、共通したり反発しあったりしていることがたくさんある。それがたぶん役者という仕事の、非常に大切な部分になるのだと思います。

映画『銀河鉄道の父』

クランクイン当日耳にした、成島監督の印象的な言葉

成島監督は、そんな役者たちの演技をもって、人と人とのつながりや生きることそのものを描いてきた。これまで複数の作品に出演し、監督自身とも縁の深い田中に、自身が感じる成島監督作品の魅力を訪ねると、やはり「人間」の描き方への言及がなされた。

田中: 成島監督はご自身の中に、さまざまな人間のイメージがある。役者の演技を観て「そうではない」と思うことがはっきりとあり、言ってくださる監督なので、僕にするとそれは嬉しいことですね。例えば僕が(演技で)誰かからの言葉に返事をすると、その返事の仕方一つでも気にかけて見てくださっています。そういう意味で、ご自身も役者になったかのように、演技の中に“入って”観てくださっている人。それはすごく素敵だなと思います。

今作においては、自身が登場しなかったクランクイン当日の撮影見学中に、監督から印象的な言葉を聞いたと笑顔を見せる。

田中: クランクインの撮影を見ておきたくて見学をしていたら、そこで監督が「撮影が始まって、役者さんが演技をして初めて本当に見えてくるビジョンがある」とおっしゃった。僕もその通りだと思います。監督さんの中には、最初から自分の中に完成した映像や言葉の様子までもがばっちり見えていて、それを作ろうとする人もいますが、成島監督は役者さんたちの体と、頭脳と経験が生み出した瞬間に非常に触発されて作品を作っているのだと良く分かった。

『八日目の蟬』の時はとても演技指導をしてくださる方なのだと感じて、期待されているものはこれなのかな?と考えながら演じていましたが、今回はそうした部分がより深まった感じがします。

頭の中に出来上がっていた「正解」をなぞるのではなく、その場に“在る”役者の身体や存在そのものがあって初めて描かれるビジョン。それは、つまり役者自身の存在感や内面も含めて映し出されるものが、作品自体の中身をも左右する影響力を持つということだ。しかし、生身の人間の演技によってできあがる映画においては、その存在をもってでしか見えないものもあるに違いない。そう返すと、田中は小さく頷いた。

田中: そうです。映画には、そういうものが実は映っているのだと思います。

宮沢賢治はたくさんの謎を持つ人物
映画から見えるものが何か、それが大事

本作で菅田が演じる賢治は、家業を継ぐことを拒んで農業や人造宝石に夢中になったり、突然宗教に身を捧げると家出をしたり、ある意味“ダメ息子”としての姿を見せる。だが、実際の賢治の人物像については未だはっきりとしたものは見えてはいない。子供の頃から彼の物語に親しんできた田中にそのイメージについて尋ねてみても、同じ答えが返ってきた。

田中: 彼の人物像については特にイメージはありません。たくさんの謎を持っている人だと思います。世界中に宮沢賢治の学会があって、多くの方が夢中で研究をしているし、これからも膨大な時間をかけてなされていくのでしょう。

例えば、日本にも詩人の谷川雁氏が創設した「ものがたり文化の会」という組織があって、宮沢賢治の作品を朗読し暗記して、その短編をみんなで演じるといった活動をしてました。僕も雁さんが生きてらっしゃった時にはよく頼まれて、参加する子どもたちに動きを提案してあげるような形で関わってたりしていました。彼らはすごい数の賢治の詩編が全部頭に入っている。原作を読まなくても、暗記したものをバーッと朗読できるんです。そんな子たちが日本国内に散らばっていますし、これ以外にも賢治にまつわるアクティビティは今でもあちこちにありますよね。

そうした研究や活動から、さらに多くの物語が生まれていく可能性がある方だと思います。その中で今作のテーマとなったのが、家族と父親ということ。だからこの作品を観て宮沢賢治が分かるということでは決してないと思いますが、この映画が見せてくれているものが何なのかというのが大事なんです。

【画像】映画『銀河鉄道の父』場面カット10

「まだ20年」。演技をすることの本質がどこにあるのかを知りたい

『たそがれ清兵衛』(2002年)で「役を演じる」仕事を始めてから丸20年以上。最後に、この仕事において今あらためて興味をもっていることや、今後携わりたいことを聞いた。田中は少し考え込むように沈黙した後、率直な言葉を口にした。

田中: それは、分からないですね…。僕は役者という仕事を始めた時から「いつ辞めようかな」と思っていたくらいでしたので、まず「失礼だ」と思うんです。役者さんは、これで生きようと思って仕事をしている人ばかりです。僕はそんなことをこれっぽっちも思わずに、踊りに夢中になって生きてきた人間なので、「役者です」なんてとても言う気にはなれません。演じる仕事をもらったら一生懸命やっているだけです。

ただ今は、せりふ一つ、そしてそこに役者として“いる”ことが、少しずつ分かり始めてきた感覚があります。そこからいわゆる「演技」をするということ、「あいつ“演技”をしているな」と言われるようなものではなく、演技をするということの本質がいったいどこにあるのかを知りたいなと思っています。

踊りは踊りで深まってきているので、そちらもやりたいとは思っていますが、僕の中でそれは「二股」という感覚ではありません。言葉(せりふ)があるかどうかなど、分かれ目はいくつかありますが、どちらにしても社会の歴史に大きく関わってきているものですし、面白いですね。

まだ20年ですよ。僕は60近い年齢で、初めて人前で自分の言葉ではなく「役の言葉をしゃべる」という経験をしましたから、まだまだ全然ですよ。

【写真】映画『銀河鉄道の父』田中泯 (Min Tanaka)

「役者は『人間』をやる」。その言葉を聞いた瞬間、テクニックや見せ方ではなく、それがつまり演じるということの根幹だと感じた。その仕事に20年間関わってきた田中は同じだけ「人間」を見つめてきた方でもある。

だからこそ、例え出演シーンがそれほど多くなかったとしても、田中の演技は観客の空想力を掻き立てる奥行きを持ち、印象に残るのだろう。そしてそんな田中が今後も興味を持って「演じる」ことを続ける意欲を見せてくれたことに、一人のファンとしてワクワクした。

役所広司、菅田将暉、田中泯が織りなす家族の「魂」の交流、そして謎に包まれた宮沢賢治の新たな一面が垣間見られる『銀河鉄道の父』は5月5日(金・祝)に公開。スクリーンに映し出される物語から何を感じるか、ぜひ自身の目と心で楽しみ、確認してほしい。

[取材・文: 深海 ワタル / スチール撮影: 坂本 貴光]

プロフィール

田中 泯 (Min Tanaka)

1945年生まれ、東京都出身。ダンサー。

1964年からクラシックバレエとモダンダンスを10年間学び、モダンダンサーとして活躍。1974年に独自の活動を開始し、「ハイパーダンス」と称した新しいダンスのスタイルを発展させる。1978年ルーブル美術館において海外デビュー。以来30年以上、ヨーロッパ、アメリカ、旧社会主義国や発展途上国を含む世界中で独舞、グループの活動を発表。1985年に山村へ移り住み、農業を礎としながらも国内外で幅広くダンス活動を続ける。

2002年に『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビュー。2022年には犬童一心監督による自身のドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』が公開。近年の主な出演作にNetflix映画『アウトサイダー』(2018年)、『アルキメデスの大戦』(2019年)、『HOKUSAI』(2021年)、『いのちの停車場』(2021年)、『峠 最後のサムライ』(2022年)などがある。

【写真】映画『銀河鉄道の父』田中泯 (Min Tanaka)

映画『銀河鉄道の父』予告篇🎞

映画作品情報

【画像】映画『銀河鉄道の父』ポスタービジュアル

《ストーリー》

宮沢賢治の父・宮沢政次郎。父の代から富裕な質屋を営み、長男の賢治は、本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は適当な理由をつけてはそれを拒む。学校卒業後は、農業や人造宝石、宗教と我が道を行く賢治。政次郎は厳格な父親であろうと努めるも、賢治のためなら、とつい甘やかしてしまう。やがて、妹・トシが結核にかかったことを機に賢治は筆を執り物語を書き始めるが、みぞれの降る日にトシは旅立ってしまう。

「トシがいなければ何も書けない」と慟哭する賢治に、「私が宮沢賢治の一番の読者になる!」と、再び筆を執らせたのは政次郎だった。「物語は自分の子供だ」と打ち明ける賢治に、「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」と励ます政次郎。だが、ようやく自分自身の道を見つけた賢治にトシと同じ運命が降りかかる─。

 
出演: 役所広司、菅田将暉、森七菜、豊田裕大、坂井真紀、田中泯
 
監督: 成島出
原作: 門井慶喜「銀河鉄道の父」(講談社文庫)
脚本: 坂口理子
音楽: 海田庄吾
主題歌: いきものがかり「STAR」(ソニー・ミュージックレーベルズ)
製作: 木下グループ
制作プロダクション: キノフィルムズ、ツインズジャパン
配給: キノフィルムズ
助成: 文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会
 
© 2022「銀河鉄道の父」製作委員会
 
2023年5月5日(金・祝) 全国公開!
 
映画公式サイト
 
公式Twitter: @Ginga_Movie2023
 
 

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映画『銀河鉄道の父』完成披露試写会 舞台挨拶 レポート

この記事の著者

深海 ワタルエディター/ライター

ビジネスメディア、情報誌、ITメディア他幅広い媒体で執筆・編集を担当するも、得意分野は一貫して「人」。単独・対談・鼎談含め数多くのインタビュー記事を手掛ける。
エンタメジャンルのインタビュー実績は堤真一、永瀬正敏、大森南朋、北村一輝、斎藤工、菅田将暉、山田涼介、中川大志、柴咲コウ、北川景子、吉田羊、中谷美紀、行定勲監督、大森立嗣監督、藤井道人監督ほか60人超。作品に内包されたテーマに切り込み、その捉え方・アプローチ等を通してインタビュイーの信念や感性、人柄を深堀りしていく記事で評価を得る。

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