- 2018-2-6
- アカデミー賞, ゴールデングローブ賞, トロント国際映画祭, ヴェネツィア国際映画祭, 映画レビュー, 映画作品紹介
3枚の広告板から、子を亡くした母親の叫びが聞こえる
アカデミー賞®の前哨戦としても注目される第42回トロント国際映画祭で、『スリー・ビルボード』(原題/英題: Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)は直前の第74回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し下馬評の高かった『シェイプ・オブ・ウォーター』をおさえ、観客賞を受賞した。観客の心をひきつけ、共感を得たもの、それは、なりふり構わず社会と闘い続ける、孤独な母親の姿だった。
《ストーリー》
アメリカ、ミズーリ州の田舎町・エビングに住むミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、町郊外の道路を走行中、古い広告板(ビルボード)が3つ、荒れるがままに放置されていることに気づく。そのビルボードを所有するのはエビング広告社。ミルドレッドは若き社長レッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)に掛け合い、1ヶ月分の使用料を払って「広告」を出すことにする。数日後、パトロール中に真新しい「広告」を見たディクソン巡査(サム・ロックウェル)は、驚愕した。そこには彼が尊敬して止まない上司・ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)の名が書いてあったのである。ミルドレッドは娘を惨殺した犯人の捜査が進展しないのは、署長の責任だと考えていた。
《みどころ》
子を亡くした親の悲しみは深い。それが殺人であり、犯人がわからないとしたら、その憎しみ、焦燥はどこに向かうだろうか。ウィロビー署長は最善を尽くしているかもしれない。でも被害家族にとって犯人逮捕に至らないのは、警察の怠慢でしかない。一方、町の名士でもある署長を公然と罵倒しまくるミルドレッドは、ディクソンに言わせればクレイマーの逆恨み女そのものだ。
権力、経済力、ジェンダー、人種、偏見、教養…ありとあらゆる観点から強者と弱者は対立し、出口の見えない抗争は続く。女性だから、被害者だから、正しくて努力が報われるとも限らない。主人公は被害者だが、その悲しみゆえといっても暴走ぶりには一歩引いてしまうほどの狂気がある。しかしそこまで追い詰められる状況にこそ、現代に生きる人間のリアリティが潜んでいるのではないだろうか。
罵倒と暴力、説得と協力、ギリギリの状態でいったい何が人の心を動かすのか。どんな人間にも良心はあり、どんな正義でも許されない手段があるのだ。憎しみあっていても分かり合える可能性があることを見せてくれる点に、希望がある。が、希望がありながらも胸中に重いものが残るのは、なぜだろう。
忘れ去られたのはビルボードだけではない。登場人物たちは、皆忘れ去られている。この映画は、エビングのような「忘れ去られた田舎町」がアメリカにはたくさんあるということを、「映画」というビルボードを通じて告発しているように思える。
映画『スリー・ビルボード』予告篇
映画作品情報
第74回 ヴェネツィア国際映画祭 脚本賞受賞
第75回 ゴールデングローブ賞® 最多4部門受賞(作品賞/主演女優賞/助演男優賞/脚本賞)
第90回 アカデミー賞® 主要6部門7ノミネート