- 2022-11-3
- インタビュー, 映画監督, 第35回 東京国際映画祭

映画『1976』マヌエラ・マルテッリ監督 インタビュー
歴史の真実を日常と感情から紡ぎ出す
第35回東京国際映画祭(TIFF)のコンペティション部門に出品されたチリ映画『1976』は、長きにわたって君臨したピノチェト軍事独裁政権下を描いた映画である。

ピノチェトがクーデターを起こしたのは1973年。数日にして数万の人間を虐殺し、さらに秘密警察を組織して徹底した恐怖政治を行った。1976年は、監督の祖母が亡くなった年だという。彼女が精神的に苦悩していたことと当時の社会状況は無関係ではない、という点に着目したところから、この映画制作は始まった。
しかしマヌエラ・マルテッリ監督は1983年生まれ。「1976」年には生まれていない彼女は、どのようにして映画を作ったのだろう。そして21世紀の今、この映画を作ろうと思った真意は?来日した監督に話を聞いた。
口伝が教えてくれた当時の女性たちの肌感覚
「独裁政権時代の歴史の真実を理解するためには、本に書かれた事実を理解するだけでなく、その政権下で生きた人々の感情というものを理解する必要があります。そこで生きた人々がどんなことを感じていたのかということも、知識とともに理解しない限り、その過去、その時代を完全に理解したとはいえません。その時代に生きた多くの女性の話を聞きました。彼女たちの体に、血肉に、そして感情に、あの時代が内包されている。でもそういうものは、あまり本の中には書かれていません。口伝え、口伝によって残る。人の輪の中でしか残らないものがあり、そこに真実が隠されているのです」
このような取材の末に紡ぎ出された女性が、主人公のカルメンだ。彼女は高名な医者を夫にもち、海辺に瀟洒な別荘を持つ上流社会の裕福な女性である。敬虔なカトリック教徒として、またかつて赤十字で働いていたという経歴もあり、日頃から教会の福祉活動に勤しむ。しかしその「福祉活動」が高じて反政府主義者を匿うことになったとき、世界は全く違う様相を呈していく。他人の目が全て自分に向けられ、見透かされているように思える不安。全ての人が信じられない。自分のしていることがいかに危険なことか、家族を巻き込んだらどんなことになるか。彼女は決して誰にも心の内を打ち明けない。
そこには南米特有の、男性優位社会の存在も関係している。
「ラテンアメリカでは70年代は、男性が女性のことを決める世の中でした。いわゆるマチズムですね。女性が投票権を持ったのが、ようやく50年代ですから。ラテンアメリカに限らず、今でもそういう国は多くあると思います。たとえば妊娠中絶についても、女性の体のことなのに男性が決定権利を持っていたり、女性に対する強制力・精神的抑圧がものすごく強いですよね」
監督には「チリの暗黒時代の暴力性を、当時は顧みられなかったジェンダーと家庭内の問題という新たな角度から検証したい」という思いがあったという。カルメンの政府に抗う行動は、一方で自分のための「女の闘い」ではなかったか。夫は自分が「異なる考え」を持つことなど、想像だにしないだろう。そして彼女もまた、夫によって行動を止められることを避けたかっただろう。彼女はどこまでも、自分を信じて前に進む。「最初の一歩」が報われるか報われないか、それは誰にもわからない。
「今イランで起こっているスカーフのかぶり方による事件も、犠牲者が出たことは辛いですが、それでも私は、女性が自分たちの権利のために立ち上がって戦い始めたことそのものについては、よかったというふうに思っています」
富裕層に焦点を当てた理由
『1976』において、同じ女性であっても犠牲者の多かった庶民ではなく、富裕層の女性を主人公にしたのには、どんな意図があるのだろう。
「富裕層の人々が現実に起こってることに目をつぶり、知ろうとしないと決めたことによって独裁政権が支持されていたということを描きたかったのです。富裕層の人たちは、本当に何もわかっていない」
確かに、カルメンの夫や友人、友人の妻などの口ぶりから、彼らにとって政府にたてつく者は悪人であり「つかまってほしい」「粛清されて当たり前」の唾棄すべき輩であることが分かる。
「それは過去のことばかりではありません。最近ある投稿を見て驚きましたが、労働者階級の人たち、恵まれてない人たちがどんなことに直面しているかを、いまだに理解してない人が多いのです」
現実から目をそらして生きる人々がいる一方で、弾圧の厳しい時代、生き延びるために手を汚したこと、家族のために沈黙したことを、心の傷として持っている人も多いのではないだろうか。映画の中で、サンチェス神父は保身のために密告してしまった過去を、深く悔いている。
「上流階級において、そうした“罪悪感”は、存在します。罪悪感によって何か行動するということも、あると思います。上流階級の多くの人はカトリックなので、カトリックの教会はそれを促進する場になっていることは確かです。でも、本当のキリスト教的な価値というものは、実行されていません。本当のキリスト教的な価値というのは、“共感する”ということだと思うんですよ。しかしそれは行われておらず、ただ教会が贖罪の場として作用しているだけなんです。どんなに「気持ち」があっても、それだけでは十分ではないということを見せるのが、映画として大切だと思いました」
つまり神父のように、カルメンのように、「行動」が伴ってこそ価値がある、ということか。しかし「行動」が実を結ぶとも限らない中で、それでも「行動」する勇気が、私たちにあるだろうか。
今こそ、ピノチェト時代を振り返る必要がある
ピノチェトは1990年、17年間にわたる政権から退いたが、その後も議員としてはとどまり、政治的影響は強大だった。そのピノチェトも2010年に没した。監督はなぜ今、「1976」を製作したのだろう。
「民主主義というのはとても脆いものです。今の世界を見ればわかるでしょう。ロシア然り、イラン然り。ブラジルもフランスもトルコも、リストを挙げればきりがありません。いつひっくり返されてもおかしくない危険と隣り合わせです。今のチリの社会も、かつての独裁政権の遺産でできているのです。社会システムそのものが、独裁政権の影響を非常に受けたままで成り立っています。貧富の差は激しく、先ほども言いましたが、恵まれた富裕層の人たちは、庶民の人たちにどんなことが起こってるか、全く知ろうとしない。なぜそうなったのか、どこから今の状態が生まれて来たのか、今こそそれを理解しなければ。そう思って、私はこの映画を作りました」
カルメンは祖母の象徴であると同時に、たくさんのチリ女性のシンボルだ。貧富の差や階級の断絶を越えて隣人の苦難に共感する心を持ち、心に傷を持ち、だからこそ行動する。この映画制作も、そうした「行動」の一つと言えよう。カルメンは、監督自身なのである。
プロフィール
マヌエラ・マルテッリ (Manuela Martelli)
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映画『1976』予告篇🎞
映画作品情報
《ストーリー》1976年、裕福な医師の妻カルメンは、海辺の別荘のリノベーションに勤しみ、孫とのバカンス楽しんでいた。そんな彼女に、地域の教会のサンチェス神父がエリアスという青年の傷の手当てを頼みにくる。 神父は敬虔なクリスチャンのカルメンに、赤十字で働いた経験もあると知り、頼ってきたのだ。単なる盗みで逃げているというエリアスだが、実は反政府活動で逃走中だった。 ピノチェトがクーデターによって独裁政権を打ち立て、あたり構わず不満分子を粛清を繰り返すこと3年。今日も路上で若者が逮捕され、海辺の岸には身元不明の死体が上がる。 エリアスのことが発覚すれば、神父もカルメンも命が危ない。だが、カルメンはエリアスへの協力を惜しまず、ついに仲間との連絡にまで手を貸すことになる。 そこへ、魔の手がじりじりと迫ってくるのだった―。 |
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