- 2017-10-28
- イベントレポート, トークショー, 第30回 東京国際映画祭
第30回 東京国際映画祭(TIFF) マスタークラス
河瀨直美監督スペシャルトークイベント開催!
第30回東京国際映画祭(TIFF)マスタークラス「河瀨直美監督スペシャルトークイベント」が10月28日(土)、六本木アカデミーヒルズにて開催された。
河瀨監督がエグゼクティブ・プロデューサーを務めた映画『東の狼』の特別上映と主演の藤竜也を迎えてのトークショーの後、最新作『光』(2017年)が第70回カンヌ国際映画祭でエキュメニュカル審査員賞を受賞し、若手育成にも力を注いでいる河瀨監督ならではの映画の作り方や作家としての原点、自身の生い立ちについてなど、マスタークラスでしか聞けない濃く深い話が共有された。
映画『光』において、映画内映画を成立させるという初の試み
北林監督役を演じた藤竜也さんが作った映画が、映画『光』の中での音声ガイドになっている。映画の中に映画を存在させるのはすごいチャレンジだったんですよ。 18歳で映画を作り始めて30年。そこから最新作『光』の中で映画内映画『その砂の行方』を存在させました。
この作品を作ったのはもちろん私です。本編撮影前に出来上がっていないといけないので、『光』の撮影の20日前に撮影して2日間で撮り切りました。そして『光』の主演である水崎綾女さんに音声ガイドを作ってもらったんですね。
河瀨組の撮り方
撮影するまでの期間に、とても時間をかけます。例えば稲穂のシーンであれば、通常の映画なら買ってきた稲穂を用意するが、河瀨映画においては稲穂の栽培からスタートするという具合に。脚本自体は長編で用意されていた映画内映画作品『その砂の行方』。
天候さえ恵まれていれば、撮影自体はとてもスムーズな機動性があります。計画を立てずともです。
何故なら、スタッフ全員が俳優のテンションを中心に常に見守っている。そのようにアンテナが働いているのです。
撮影監督も、照明も、録音も、美術も、メイクも、みんなが同じ方向を向いているというのが大事。「よーいドン」で各々がやるべきことをしっかりやれるチームです。
カメラの目以外の目があると、結局違うところに意識を集中させなくてはいけないので、極力、要らないものは要らない。普通なら要るものも要らないとして、それで現場が回っている。「よーい、スタート」がかからないんです。他の監督であれば、「よーい、スタート!」がかかるものですが、それは河瀬監督の映画ではない。
撮影監督の目を見て、目が合ったらカメラは回っている。そういうレベルなのです。
「目が合い、頷く。そしたら始まる」ということで、ものすごく静かな撮影現場です。
初めて入る人にとってはとても戸惑う現場だと思います。
カメラが回っているけど、それに気づかずに一般の方が映像に入ってきてしまうということも多々あるが、それも大丈夫。
音声ガイドをつけるということも、水崎綾女さんに実際にやってもらいました。それがリストになって上がってきます。それをチェックして、実際に劇中で議論になるものかどうかを会議して、本当に自分が作ったものを、本番中に持ってきてもらい、撮影の中で朗読してもらい、それを聴いていた雅哉さんたち視覚障害者の皆さんにディスカッションしてもらう。
どこで誰が発言するかはわからない。そのシーンはほぼドキュメンタリーです。
こういう話をしてほしいという、目論見はあるんです。 「それ」が撮れるまで、スタッフたちはずーっと撮っている。 ですので、スタッフも演者も皆んなものすごく疲弊します。お腹が減るのは嫌なので、ちゃんと食事はとりますが(笑)。
脳内で編集をして、望んだ映像が撮れるまで、全員に同じシチュエーションを続けてやってもらう。俳優たちは、自分がシナリオの中で存在していないような感じなので、自分のタイミングで何かを発言していいわけなんです。
でも「必ずこれだけは言ってね」っていうセリフはあるんです。それ以外は全部自由なんです。どこからが芝居で、どこからがカメラが回ってない世界なのか、境目がない。
藤竜也「河瀨さんは一種の“人さらい”ですね」
(ここで、観客席で傍聴していた実際に河瀨組で撮影経験のある藤竜也に感想を聞くと、「河瀨さんは一種の“人さらい”ですね(笑)」と答え、会場は大笑い。)
「監督はすごく怖い」「飛び込んだら最後、捕らえられて離れられない」「最後は捨てられる」というのが、これまでご一緒した俳優さんや女優さんたちからのコメントです(笑)。
『その砂の行方』に出演している神野美鈴さんについてですが、不思議な人ですよね(笑)。
ここで河瀨監督が神野さんのモノマネを披露。(会場大ウケ)
半分狂っていく彼女を抑えながら、「求めても求めてもまだ会いたいと思う」というセリフが印象的でした。
どこまでやればいいですか?と藤さんから訊かれました。その言葉に、「最後まで、どこまででもやろうとしてくれた」と、理解しています。でも、砂だからなあと思い(笑)。
覚悟を持って出演してくれるかどうか
神野さんもどこまでも身をゆだねてくれました。身をさらけ出し、俳優というものがどういうものであるのか俳優がどれだけ覚悟を持って撮影に望んでくれるか。
俳優と監督の関係についてですが、信頼関係と、お互いの覚悟の部分が重要なんだろうなと思います。
覚悟があるかないか、私は正直、見抜きます。覚悟さえ持ってきてくれれば、必要じゃないことはしないし、お互いの共有感があれば、スクリーンに映るものはものすごく力を持つと思っています。
藤竜也さんのようなキャリアを重ねた方と比べると、若い俳優さんはやはり、脚本の表面をなぞっているだけ、読んでいるだけのように感じてしまう。物語の腑の、ざわざわしている部分。ココが出ていること。
何かがあれば、これがマグマのように出てきて表情にできる人と、できない人がいる。
それが出来ていない美佐子(水崎さん)がいて、本当にこのシーンで、あなたは現実的にこういう表情をするかい?と。彼女にずっとそれを言ってたら、「(監督のこと)殺したいくらい憎いと思うよ今。尾野真千子も言ってたよ」って藤さんが彼女に言っていました(笑)。
「僕から言えることは、俳優はね、『“心の襞(ひだ)”を増やすこと』だ」と藤さんが彼女に言われたんですね。経験にないことも、“心の襞”を作って経験したかのように演じられる。多くの俳優さんは、そういった心の襞を増やす訓練をしていません。マグマのように湧き上がってくるもの。魂の震え、揺れとかを表現する訓練をしていないのです。
昔から若い俳優さんたちからファンですとか出演したいですと言われると訊いています。
「君は本当に人を愛したことがあるのか」「死にたいぐらい好きになったことがあるのかい」と(笑)。普段から、心を振らしているかと。簡単な方を選んだり、条件のいい方を選んだりじゃなくて、心が揺れる方を選んでいるのかと。普段から。それはもしかしたら周りや自分を傷つけることになるかもしれないけど、その体験がある種、表現世界への力になることにつながるのではないかなと思います。
河瀨直美監督の原点
私の監督の原点は30年前の大阪です。自分のとにかく興味のある人や物を大阪の町で撮れという課題だった。とにかく楽しかった。ドキドキした気持ち、わくわくした気持ち、人に出会い、撮っていいですか?と尋ね、撮るのです。
カメラがある種のコミュニケーションツールとなってくれました。 カメラ無しで見知らぬ人に話しかけたら、その人からどう思われるか。そういった気持ちが緩和されていく感覚がありました。
撮り終えた後、映写機にフィルムを装填し、自分が撮ったチューリップが映ったその時の、この喜びと驚きは半端じゃなかったです。チューリップを撮っている自分を撮っているのです。
高校時代はバスケ部で、命をかけてやっていました。体育会系で、まさか映画を撮るなんて思わなかったです。バスケ部最後の大会の時、もう負けがほぼ決まっていた試合で、時間が私の前を通り過ぎる。巻き戻しすることができない。とにかく負けて泣いてるんじゃなくて、時間が過ぎることがそれに対する涙それに対する決別を、コートでものすごく感じてしまったんですね。それで泣いてしまった。
チューリップが映写機を通して現れた時に、「これだ!」と思った。時間を巻き戻せるという感覚です。フィルムに、その時代に、自分が刻み込まれること。それが私の作家としての原点です。
「人が生きて、その時代に軌跡を残すこと」なのです。そのことにどれだけ執着するか、その気持がどれだけ私の中にあったか、それは私の生い立ちにも関係しています。
河瀨直美という人間の生い立ち
生まれた時に父親を知らない。母親も私を生んで、そのままどこかへいってしまった。養女として育てられて、その自分が生まれてきたことが奇跡なんですね。
両親が生まれる前に離婚しているんで、結婚していたかもわからないけど、普通なら生まれる運命ではない、でも、生まれてきた。
本当の両親に育てられていない。55歳の老夫婦が私を育ててくれた。
なぜ私はここにいるのか。答えが欲しくてしょうがないけど、誰も教えてくれない。河瀬直美にとっての映画はそういうことから始まっています。
『光』、『その砂の行方』は、映画をテーマにしています。
「映画への愛」をテーマにしているんです。それが何なのかわからないけど、確実にそれが今の私を形作っています。私がとりあえずまっとうに、ある意味「生きている」その証が映画なんですね。
こんなことはマスタークラスでしか言いませんが、作家の主観を映画に入れたところで観る人には関係がないけど、客観以外にも主観も入れないと、その時私が作れるものを作ったことにはならないんですね。
会場から河瀨監督へのQ&A
―― 永瀬正敏さん主演作品が次回で3度目ですが、河瀨監督がお仕事をもう一度したいと感じる俳優さんの魅力はどこにありますか?
彼は本当に半端ないですね。ガチで来ます。本当に真面目で、光におけるまさやが撮った写真も、写真集も全部彼が作ったんです。
視覚障害者の役を演じるにあたり、見えないゴーグルをずっとつけて、ロケ地でしばらく住んでくれたり。それをやることで心の襞を増やすんですよね。だから、目が見えなくなった瞬間というのは、演技じゃなくて本当に震えてるんですよね。
声が震えて止まらない。本当にストイックな役者さんというのは有名ですが、ストイックなだけじゃなくて、相手のことを慮る余裕もある。
そういう人が河瀬組で映画をやりたいと言ってくれるのは嬉しい。今は新しい作品を作っています。これもまたハード。だいぶ体がしまってきました。そういう努力を今してもらっています。
―― ある映画監督が河瀨監督の映画は映画じゃないという意見を3回ぐらい言われていました。何故だと思いますか?
ツイッターやフェイスブックなどSNSでも書かれているけれど、私は見ませんが。その人は私の作品を観てるんですよね?観ている上でネガティブなことを書くのは、「うわあすごい」って思う。私だったら絶対に観ないし、言わないしって思う。その方、ものすごく私のことを意識されているんだなって思います(笑)。
―― 『その砂の行方』におけるピアノの旋律が素晴らしいです。ピアノはお好きですか?
ピアノは好きですね。単に。映画音楽というのはとても難しい。いまだに、最高のコンポーザーと出会えていない感覚がある。
―― 監督の素材の切り取り方、どういうものを映画になさるのかが興味あります。どういうアンテナの張り方をして、それを映画にまで作り上げているのでしょうか?
出会いでしかないのですが、こうして人と話をしている中で閃くこともある。映画祭でもそう。そういうクリエイティブな人たちと影響を受け合う。自分が見たもの聞いたものからしか得ていない。
今こういうものが流行っていてとか、そういうものから作るキラキラ映画には興味がない。きっとキラキラしていない(笑)。きっと問題意識というものがあるはず。それを作り続けられる作家でありたいと思う。どういうパートナーと一緒に作るのか。全部自分で担うには、やはりどうしても狭くなる。強力なパートナーたちと一緒にやっていきたい。
―― キャスティングについてお聞かせて下さい。
実際に、会わないとキャスティングは決めない。 基本、聞くことが多い。 ちなみに神野美鈴さんは自分のことを泣きながら話してました。次回作にご一緒しているビノシュさんもです。
皆さん覚悟を持ってきてくれているので、溢れ出るものを止めないんですよね。一度決めた俳優さんとはずっと付き合っていきますので。殺したいっていう感想はいただくわけですが(笑)。
―― 世界的に監督は知られているわけですが、監督の目から観たときに、日本でどう見られているか、海外でどう見られているか、差があると思いますか?
ないと思います。日本だから、外国だから、じゃなくて、人間に伝わるように。もう一人、客席にいる自分に伝わるように映画を作るようにしています。つまり、主観、客観で観るようにしています。字幕のあたり方は意識しています。世界を観ているという感覚はあります。
―― 『光』を奈良県奈良市で撮影した理由は?
また、もし全然違う作品を撮るとき、希望のこういう舞台で撮りたいというロケ地はありますか?
『光』は配給会社が出てくる映画ですが、奈良には配給会社がないわけです。だからそこはリアリティがない。私が奈良に住んでいる、そこが一番強い理由です。本当にチャリンコで行ける範囲で撮っていますから。自分が昔通っていた幼稚園の横とかで撮っていたり。
『光』は映画をテーマにしている作品なので、私にとっての勝負だったといえます。あまりロケ地でわちゃわちゃしたくなかった。だから私がすべてを知っている地に俳優やスタッフたちに来てもらって撮る。時間を要らないところにかけないという選択をした。配給会社がなくてもビルの中で撮っていればリアルにできました。
奈良のお家の東の山から見える美しい夕日は奈良でしっかり撮ろうと思いました。そういう場所を奈良県の中から2箇所見つけなければならなかったので、奈良市から天理、櫻井、吉野、明日香まで私歩きました。そしたら日本の森のことをいろいろ考えることになりまして、『Vision』につながるという…(笑)。
本当に森が荒れています。植林したけど手入れをしていない。これは由々しき問題で、美しい風景が失われている。これは全国に言えることだと思っています。それは山のことだけじゃないですが。特に奈良は「万葉集」からその場所があるのに現在手入れができていないところがあるので、私は「なら国際映画祭」のプロジェクトで誕生した『東の狼』でも、映画を通じて発信していければなと思います。
国内外で活躍し続けている河瀨監督より、普段なかなか聞けない映画作りや、監督の原点にまつわる話を長時間に渡って深く濃く聞けたことで、大勢の参加者達が大満足な様子で会場を後にしていた。
河瀨監督によるTIFFでの初のマスタークラスは大盛況の内に幕を閉じた。
[スチール写真: Cinema Art Online UK / 記者: 蒼山 隆之]
《TIFFマスタークラスの続き(前篇)はこちらから》
《イベント情報》<第30回 東京国際映画祭(TIFF) マスタークラス「河瀨直美監督スペシャルトークイベント」>■開催日: 2017年10月28日(日) |
《河瀨直美監督 プロフィール》映画作家。生まれ育った奈良で映画を創り続ける。大阪写真専門学校映画学科卒業。『につつまれて』(1992年)、『かたつもり』(1994年)で、山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞等を受賞。『萌の朱雀』(1997年)でカンヌ国際映画祭カメラドールを最年少受賞し、『殯の森』(2007年)で審査員 特別大賞グランプリに輝く。その後も同映画祭で、数々の賞を受賞し、2017 年には『光』がエキュメニュカル審査員賞を受賞した。 |
映画『光』予告篇
映画『光』作品情報
《ストーリー》視力を失いゆくカメラマンと出逢い、彼女の何かが変わりはじめる―― 単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が過去に撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかこの場所に連れて行って欲しいと願うようになる。命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼の葛藤を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめる――。 |
エキュメニカル審査員賞受賞
監督: 河瀨直美
出演: 永瀬正敏、水崎綾女、藤竜也、菅野三鈴、白川和子
製作: 木下グループ、COMME DES CINEMAS、組画
配給: キノフィルムズ/木下グループ