チェ・ゲバラの物語ではない、もうひとりのゲバラの物語。
日本人にとって、キューバという国、そしてフィデル・カストロやチェ・ゲバラという人物はどのように映っているのだろうか?
「革命」とは? 昨今の世界情勢に混沌をもたらしている要因の一つである「テロリズム」との違いは? もし、一緒くたに考えてしまっているとするならば、この映画を観ればその考えは一変するだろう。恥ずかしながら筆者はチェ・ゲバラが日本に来ていたこと、しかも、戦後の広島を訪れていたことを知らなかった。
広島平和記念公園の記念碑に刻まれた言葉に対して、この映画に登場する日本人記者(永山絢人)と通訳へ投げかけた彼の言葉は、きっと現代を生きる我々日本人、平和を愛する人々の心の奥深くまで刺さるほどの鋭さなのは間違いない。
主人公はチェ・ゲバラに強い憧れと尊敬の念を抱きつつ、故郷のボリビアでは特権階級しか受けることが叶わなかった医療をより多くの人たちに受けさせるべくキューバに渡り、医学を学ぶ一学生であった日系ボリビア人・フレディ前村アルタード(オダギリジョー)だ。
真面目にして実直、ゆるぎない正義感と思想を持ちつつも、自分と正反対の主義の持ち主とも公平に接するフレディ前村は、学生達のリーダーとしても支持されつつ学業に邁進する。
しかし、1960年代のラテンアメリカを取り巻く環境は混沌としており、彼もまた時代の流れに翻弄され、アメリカとソ連の都合でキューバを舞台に繰り広げられた緊迫の49日間であるキューバ危機の際、兵役に身を投じることになる。
当事者であるキューバ人を差し置いていつの間にか危機が去ったこの出来事に、激昂した彼の心は、ラテンアメリカ全体が馬鹿にされたという怒りで支配されていた。そこに稀代のカリスマであるゲバラに通じる熱を感じた。
ゲバラが、カストロが彼だけに伝えた言葉。
キューバを象徴する二人の人物であるチェ・ゲバラとフィデル・カストロ。
彼らからの言葉は、きっと命を終えるまでフィデル前村の心に刻まれたであろう言葉であり、作り手が受け手に伝えたいテーマに通じるのではないだろうか。
「一番大切な存在は何か?誰なのか?」
その優先順位によって、想いの強さによって人は選択・行動が変わるものだ。ラテンアメリカ全体のことを第一に考えて生きる彼の行動の一つ一つに熱量を感じざるを得ない。
戦争映画ではなく、ドキュメンタリー作品に近い。
本作『エルネスト』には、戦闘シーンはあまり登場しない。見どころは、もうひとりのゲバラと称されたフレディ前村がどう生きて、25歳という若さで生を終えたのか。ここにスポットライトが当たっている。
時代の波に翻弄されながらも、自分がこうだと信じた道を突き進む彼のひたむきさと、成長と実績に裏打ちされた努力の姿、大切な友人や愛情を捧ぐ女性との絆が一人の青年の生涯として描かれている。
自分の生きる道を見出すきっかけになりうる映画。
熱くなれるものがない、打ち込めるものがないと、やりがいや生きがいを見失ったまま生きているという昨今の若者の話をよく耳にするし、会うことも少なくない。
時代や形や道が違えども、この映画を通じて自分が大切にしたい存在や、生きる道が観えてくるかもしれない。そんな自分の人生に、いのちに正面から向き合わざるを得ない作品に仕上がっている。
日本とキューバの合作映画としては黒木和雄監督『キューバの恋人』(1969年)以来約50年ぶりだ。監督・阪本順治と俳優・オダギリジョー。実に三度目のタッグを組む二人の渾身作と言っていい『エルネスト』へ込めた想いは、並々でなく、先行上映会の舞台挨拶にてオダギリジョーが語っていた通り、いまの日本映画においてこんな映画はなかなか撮れない。
「ある意味この映画こそが革命です」
そう語るにふさわしい大規模なキューバロケが敢行された。その模様もスクリーンで存分に味わってほしい。
映画予告篇
映画作品情報
《ストーリー》50年前、チェ・ゲバラに“エルネスト”と名付けられ、行動をともにした、ひとりの日系人がいた―。 |
出演: オダギリジョー、永山絢斗、ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ、アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス
配給: キノフィルムズ/木下グループ
2017年|日本・キューバ合作|スペイン語・日本語|DCP|ビスタサイズ|124分
2017年10月6日(金)
TOHOシネマズ 新宿他全国ロードショー!
公式Twitter: @ernesto_movie