映画『AKAI』ティーチイン イベント
赤井英和が嫁・佳子と夫婦でティーチイン!
嫁が語る、「赤井は映画の良さに気づいたのは鑑賞4回目」
現在、俳優、タレントとして活躍し、かつては日本中を熱狂させた不世出の天才ボクサー<浪速のロッキー>赤井英和の激闘が、ドキュメンタリー映画『AKAI』として9月9日(金)より絶賛公開された。
赤井の俳優デビュー作『どついたるねん』(1989年)の阪本順治監督が全面協力。再起不能のダウンから復活を遂げ、主演として自分自身を演じた『どついたるねん』の映像とともに、プロボクサー時代の貴重な映像で綴られている。
9月17日(土)、ティーチインイベントが池袋シネマ・ロサで行われ、上映後の会場に赤井英和 、そしてTwitterで41万フォロワー超えで話題の“赤井英和の嫁”佳子が登壇した。
爆笑ティーチインがスタート!
上映後の観客に向けて赤井は「皆様、今『AKAI』をご覧になって“たこ”がでしたでしょうか。いや、“いか”がでしたでしょうか。」と最初の挨拶から親父ギャグで会場は一気に笑いに溢れティーチインはスタート。
ーー 映画を作るのにどのくらいかかったんですか?
赤井: この映画が出来上がって公開日が決まるまで私は映画のことを知りませんでしたんで‥‥‥。佳子ちゃんが英五郎に映画が出来上がるまでパパには言っちゃダメよとゆうてたらしいです。なぜかというと、出来上がる前からパパは方々にいらんことを言うからって。だから映画ができるんでと聞かされて『ええ!』って。
佳子: 2年くらい前から!この話が進んでて。コロナになって、最初の緊急事態宣言が出てどこにも出れなくなった、あの時から息子は作り始めてて‥‥‥。作ってたよ?赤井に言うと本当に色んなところに言ってとんでもない話になって。前にもあったんです。
(自分のドキュメンタリーの映画なのに制作を知らされず、嫁の方が詳しい赤井に観客は爆笑)
ーー 『AKAI』を完成までにお父さんに内緒にされてたとのことですが、家族で話せるようになった時にどんな感想でしたか?
佳子: 連れて行ったんですね、試写室に。完成しましたよって。ほーって観てましたね。でもあんまり感激がない。
赤井: 感激しましたよ。
佳子: あんまりすぎたこと、自分の過去のことになんとも思わないみたいで。息子との関わりも私はジーンときましたけど、(赤井は)あんまり‥‥‥。でもご覧になってくれた方達が皆が本気で褒めてくれてる、感動してくれているとか分かったら急に喜ぶ。赤井って言うのは動物なんで。赤井が映画の良さに気づいたのは公開までに5回本編を観ているんですけど4回目くらいです。すごいんや~と。
ーー 赤井さんはいつもテレビで拝見していると常に温和で穏やかに受け答えされているなと言う印象ですが、映画の中でもテレビのレポーターさんが結構失礼なことを仰っていてもすごくチャーミングな返しをされていたことに感服したのですがその時に怒りは感じられなかったのでしょうか?
赤井: 怒り?全然感じられません!それはそれでレポーターの方のお仕事ですし、色々な角度から攻めなあかんと思いますので、そんなことで怒りなどは全くありません。
ーー 英五郎監督の編集が素晴らしかったです!当時、小さなブラウン管のテレビで観ていたんですけど、こんな大きなスクリーンで観れて本物の迫力に感動しました。当時の赤井さんのビックマウスについては楽しませようと言う気持ちでやっていたんですか?
赤井: 普通は『礼で始まって礼に終わる』。でも私のボクシングの試合の場合は『ウァーー!』と言ったり、色々と派手にするのはお客さんの気持ちを乗せないかんので。 お客さんも一緒に興奮してくれるが大事。試合が勝ったことに同じように気持ちを盛り上げるためにジャンプしたりガッツポーズしたり自分の演出でした。
ーー 子供のこと頃からずっと応援していました!私が今、高校生の息子がいて、今回赤井さんの息子さんが映画を撮られたということで15歳の子供に対して親はこう進むべきだと積極的に思ったことは言うべきなのか、ただ見守って好きなものに進ませるべきなのか非常に迷ってましてぜひ教えてもらいたいです。
赤井: うちは教育担当は佳子ちゃん、嫁さんでして‥‥‥。ほんまに好きなようにやらせていますよ。自分の好きなようにするのが自分の個性を含めて伸ばせるんじゃないかなと思っております。本来でしたら15歳、高校ぐらいからボクシングをやってほしいと思っていましたけど、まあ、ボクシングはしないと言うんでラグビーやったりアメフトをやったりしていましたけど。今したいことを十分にさせてあげることが青春の中で宝物になるのではないでしょうか。
ーー ボクサーの頃と今の赤井さんは表情もお話し方も今の方がとても穏やかに感じますが何かきっかけはありますか?
赤井: 当時はなんの恨みもない相手をいつも殺したろうかという気持ちでリングに上がっていましたが、リングから降りたらみんな友達です。俳優は映画にしてもドラマにしても映っているのは僕だけですが、その影には何十人何百人の力があってこそ作品ができる。『どついたるねん』の撮影初日に、もう何したらいいかまったく分からなり、当時とても可愛がっていただいていた記録係の今村治子さんに尋ねると「何十人何百人と赤井くんのために集まってくれてるんだから、みんなに愛される人になりなさい」と言われました。現場に入ったら挨拶をしたり、ありがとう、ごめんなさいと自分の気持ちを伝えることが愛されることではなかと思い現場に行きました。33年役者やってきて、後輩に同じ様なことを聞かれたらおハルさんの言葉を伝えたいです。
ーー 赤井さんが勝負の時に、気持ちの面で一番大事にしていたことはなんですか?
赤井: リングに上がって正面に立ったら先に手を出してどつく。先手必勝をいつも心がけておりました。映画を観て、赤井英和という選手はどっからでも手を出すし、こんな選手をと試合をしたくないと思いました。
そして、ティーチイン終了後には観客の写真撮影タイムも設けられ、赤井自ら目線誘導をし「はい、次後の方」と終始笑いの絶えないティーチインとなった。
イベント情報
映画『AKAI』ティーチイン イベント
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映画作品情報
《作品紹介》俳優、タレントとして、世代を超えて愛される赤井英和。しかし、まだ多くの人が本当の“AKAI”を知らない。かつてはプロボクサー。 1980年に鮮烈なデビューを飾り、戦績は21戦19勝16KO2敗。もっと前へ、もっと強く。ひたすら、どつき倒す。倒れても立ち上がる。その歩みを止めない、戦いを止めないスタイルは最高に強く、最高にかっこよかった。彼は本物のヒーローだった。 そして、人々は大阪市西成区生まれの“AKAI”をこう呼んだ。<浪速のロッキー>と。本人は純粋にボクシングを愛し、相手をどつきまくっただけ。 その姿は40年の時を経た今も変わらない。本作は現役のプロボクサーで、アメリカで映像を学んだ赤井英五郎が監督を務め、赤井の俳優デビュー作『どついたるねん』(1989年)の阪本順治監督が全面協力。再起不能のダウンから復活を遂げ主演として自分自身を演じた『どついたるねん』と、世界王者に挑戦した「ブルース・カリー戦」と引退の引き金になった「大和田正春戦」の息を呑む迫力の試合映像、貴重なインタビューでつづられる。 |