ロベルト・アンドー監督来日!
特別試写会ティーチイン開催!
世界経済のパワーゲームに静かに修道士が挑む
鬼才ロベルト・アンドー監督が製作の想いを語る
3月17日(土)より、Bunkamura ル・シネマほか全国順次公開される映画『修道士は沈黙する』は、『ローマに消えた男』(2013年)の鬼才ロベルト・アンドー監督が世界経済を動かす人間たちに焦点を当てて、「物質主義 vs 精神主義」の構図で描いた社会派ミステリーである。
ロベルト・アンドー監督が公開に先駆けて来日。1月17日(土)東京・イタリア文化会館にて、ゲストに早稲田大学文学学術院の小沼純一教授を迎えて、来日特別試写会後にティーチインが行われた。
《ティーチインレポート》
―― ロベルト・アンドー監督に実際にお目にかかれてとてもうれしく思っております。
私も一緒に映画についてお話をすることが出来て大変うれしいです。
―― この作品はサスペンスと驚きのある映画だと思います。ラストシーンが印象的だったのですけれども、ヴェルナルドというのは聖人の名前ですが、その辺りをお聞かせ願いたいと思います。
この映画の中には、アイロニカルな場面が色々とあります。そのほとんどの場面では、動物がそれを演じています。よく「この動物には、いったいどのような意味があるのですか?」と訊かれるのですけれども、それについて全く答えようがありません。あるとき、「この動物は、ヨーロッパを意味するのではないですか?」と言われて驚きました。色々な意味に捉えていただくことが出来るでしょう。ただ、この動物は自由を選んだということです。私としては、ラストシーンで修道士がパートナーを見つけてカップルとなって一緒に去って行く。それが希望につながっていると思うのです。この映画の中では、希望の場面が多くないので、別の意味で希望の光をさしています。修道士はこのゲームに勝つわけですけれども、それで最後はこういう形にしたかったのです。また、修道士はある意味、ここでは邪魔をする人間として描かれているわけですね。
―― 鳥が絵や歌声として現れたり、最後の場面でも色々な鳥の鳴き声がオーケストラのように現れますが、聴き分けることがこの映画のテーマではないかと思いました。
それは非常に面白い指摘だと思います。鳥たちというのは、この映画では修道士との関係で出てきます。この映画のはじまりは修道士の人物像からはじまっています。この修道士は非常に力強い生き方をしていて、力強い人生を選んで生きているように思うのですね。力強いだけでなく、世間からも離れた生活をしているのです。その中で、他者と神のために祈る生活をしています。彼らは沈黙と祈りに多くを捧げて生きています。当然ながら、聖フランチェスコが小鳥に語りかけたという関係を考えていただいても良いと思うのですけれども、この修道士は非常に無口なので、彼は鳥たちと秘密の関係を持っていると思っていただいても良いでしょう。
この映画はサスペンスですけれども、彼がICレコーダーを持っていることによって、サスペンスの要素につながっていきます。映画を撮り終わったあとに指摘されたのですけれども、このヤツガシラという鳥はモンターレの詩にも出ている鳥なのですね。ヤツガシラは、古代世界では時を止めるシンボルとして考えられていました。そういう意味で、修道士が何らかの時を止めたり、宙ぶらりんにしているとみることも出来るでしょう。この映画の中では、動物たちがアイロニカルな場面で出てくることが多いのですけれども、それはG8の大臣たちを含めた人間たちが非常に心や感情を失っているときに、人間たちに対して動物たちが心や感情を持っているように描いています。
―― この映画の中には、波や風、鳥たちなどの色々な音がたくさんあり、音が重要だと思いました。音楽では、ルー・リードとシューベルトの「冬の旅」や「楽興の時」なども出てきますけれども、2つの音楽の違いについて監督はどのようなお考えですか。
この音楽の使い方については、ニコラ・ピオヴァーニとも話をしたのですけれども、教授が言われている通りに色々な解釈が出来ると思います。私はピオヴァーニが書いてくれた曲をとても気に入っています。サスペンスの要素も非常に浮かび上がらせてくれますし、サミットに踏み込んだ修道士の宙に浮いた存在やその精神性も現してくれているからです。シューベルトの曲は、国際通貨基金のロシェの遺体が運ばれるときに歌っているわけですけれども、自分にとっても愛する曲です。この曲は今の政治の状態をすごく現していると思うのですね。「冬の旅」もそうなんですけれども、自分たちの状況を現しているような気がします。シューベルトはヨーロッパの状態を描いた曲なのです。政治状況や自分たちが冬の旅をしている状況であって、そこから出られない。そういうシンボリックな意味に捉えることが出来るのではないかと思っています。
―― ヨーロッパの政治経済の状況のお話をしていただきました。基本的にこの映画のテーマだと思います。その中でも、わざとコミカルでミステリアスな部分もあり、葬儀の場面で修道士がとる行動が謎です。これは前作の『消えた男』(2013年)でもみられました。こういう不思議さについて、どのようなお考えなのでしょうか。
私はこの2本の映画を撮ることによって、政治や権力の世界について探索することが出来ました。政治や権力の世界を事実関係で描くのではなくて、それに関わっている人たちがどんな人間なのかということを描きたかったわけです。前作では、政治家が憂うつに駆られて気落ちした人たちで幻滅した人たちなのに、それを自分では分かっていない人間です。ちょっと窓を開けて外を見る必要があることから、鳥の声が出てきます。その人間に頭のおかしな兄弟がとって変わるのですけれども、そこで二重のゲームがはじまるのですね。最終的には、頭のおかしな男がおかしくない兄のふりをしているのか、おかしくない兄が狂ったふりをしているのかは分からないわけです。ある意味で明るいフィナーレではないと思います。自分自身が政治をフィクションとして捉えているので、そういうエンディングになっています。今回、描いた人物は今まで私が取り上げてきたタイプとは全く違っていて、トニ・セルヴィッロは非常に興味を持っていただけたと思います。この主人公について、我々は何も知らないのです。何も知らされないまま現れて、何も知らないまま消えてゆく。要するに彼の経歴については、我々は全く知らされないのです。ただ1つだけ、彼の経歴が分かるシーンがあります。修道士たちは劇的な人生を生きており、多くの場合はそれまでやってきた職業を離れて生まれる変わることを求めて第2の人生を選んでいます。イタリアのカルトジオ修道会では、修道院長がかつて刑事事件の弁護士をやっていて、20年前にそれが自分には無理だということを悟って別の人生を選んでいます。以前は全く違う職業についていたものの、それを全て捨てて修道院に入った人たちがいるのです。自分たちと自分の人生に向き合って、それに挑戦をする人たちだと言えます。この映画に関しては、主人公に自然な部分を折り込みたいと思っていました。例えば、彼はロシェから教わったある秘密でこのゲームに勝つわけですね。ロシェ自身、それには意味がないと教えてくれるわけです。それでもゲームに勝つのです。ということは、私自身は経済が幻想に基づいているものだと思っているのですけれども、彼もそういう幻想のマジシャンであるということが言えると思うのですね。マジシャンはマジシャンでも、魂のマジシャンだと言えると思います。彼は葬儀の場面であのような行動をするのですが、そのときに鳥が現れるわけです。「あの鳥は奇跡なのか?」と訊かれることもありますが、彼が奇跡を起こしたということではなくて、あくまでも彼を人間として考えています。
―― この映画では、個が重要視されています。今回も何人かいますが、その人たちに向けて話すと同時に、1人1人が考えてくださいという風なことを言う。そこがヨーロッパ的に個人を大切にすることが現れていると思います。原題の「告解」が単数形ではなくて複数形なので、その点もふまえて教えてください。
告解が複数形であることは、この映画の中ではロシェが修道士に告解するわけですけれども、それだけでなく大臣たちも告解をするという意味合いが込められています。このタイトルにしたのは、かつて聖ゴスティーノが古代世界で時と魂と時間について非常に現代的な不安の自己分析の本を書いていたのです。それが「告解」という本です。それの残響もあるかと思います。個が大事であるということは二十世紀の最初の頃に目立っていました。この映画は内面的なものを描いていて、それは個から生まれるものであってほしいわけです。この修道士はゲームに加わるのですけれども、秘密を聴いたとしても、その秘密は隠されたものなので、誰も知るべきではないことです。要するに個人の領域があるということです。実はロシェが個人的な秘密を誰にも言えない、秘密の領域があるということも個であり、大事だと思うのですね。現代は全てが透明で誰でも何でも知りうる状況にあるわけですけれども、この映画では権力が秘密を持っているわけです。例えば、G8が生まれた経緯というのは、民主主義的な経緯があるにも関わらず、実際にあの場で行われていることは非常に彼らの孤独を感じさせるのです。この映画は実際にG8が行われた場所で撮っているわけですが、そのイメージは孤独につながるものです。例えば、このホテルは地方に孤立して建ち、ホテルの周りに鉄の大きな壁を作らざるおえなかったというのは、ノン・グローバルの抵抗が非常に大きくて何千人もが押し寄せてくることがあったので、ホテルに壁が築かれています。その中で参加者たちは孤独と向き合わざるおえない状況にありました。
―― 孤独と向き合うということですが、あのホテルの中に突然女性の侵入者が現れるたり、ホテルのテレビである暴動が写し出されているところもあって、閉じた空間ではあるけれども、何らかの形で外部の存在も見せているところが印象的でした。修道士は告解の沈黙を守らなければならないけれども、ロシェが修道士に教えたあることは、言葉なのか、それとも言葉ではないのかという点も気になりました。
ロシェが修道士に教えたある秘密によって、大臣たちが修道士が何かを知っているのではないかと考えはじめるわけです。大臣たちは、ロシェが人間の価値に関するメッセージを伝えようとしているのに、大臣たちにはそれが理解できないのです。この映画のヒントになったのがヒッチコックの『私は告白する』(1953年)という映画なのですけれども、この中でも神父が殺人犯の告解を受けて、それを話さないために警察に殺人者との関わりに疑いをかけられるのです。ロシェは修道士に対して教えたある秘密は何の意味もないと説明します。ロシェは告解をすることで許しを得たいわけですが、修道士は彼が本当に後悔していないことが分かるので、許しを与えないのです。この修道士は賭事師のようにゲームに使います。教えられたある秘密とは、幻想という意味で経済のシンボルだと思うのですね。修道士が空港に着いたときに目にする宙に浮いたふりをしている大道芸人たちがやっていることにはトリックがあって、宙に浮いているわけではないのだけれども、トリックがどこにあるのかは見えないのです。同じようにある秘密もトリックのシンボルだと思うわけなんです。それは空っぽの抜け殻みたいなものなんです。ロシェはそれに意味がないことを分かっているにも関わらず、倫理的に後悔をしているわけでもないのですね。ただ、それを大臣たちに見せれば、本当にそれを使うことでお金が動くと信じることを修道士に伝えていますが、それは今の世界がどんな風になっているかということと一緒だと思います。ある秘密については、私は専門ではないので、専門家の友人に頼んで作ってもらいました。映画が公開された後に新聞記事で有名な専門家から「専門的な価値がある」ということを知らされて、非常にうれしく思いました。
《観客とのQ&A》
―― ロベルト・アンドー監督、非常に素晴らしい映画をありがとうございます。深く考えさせられることが出来ました。アンドー監督が言いたかったのは、国際的な現代文明や現代社会への鋭い告発ではないかと感じました。それは、ものや金を重視して、人間の心や良心、倫理が非常に軽視をされているのではないかということです。もう1つは、現代社会があまりにも人間の言葉が反乱し過ぎているのではないか、深い沈黙の底から自然と湧きでる真実の言葉が現代では非常に失われているのではないかと思いました。アンドー監督はどのようにお考えでしょうか。
非常に良い点をついていただきました。沈黙の価値はこの映画で最も重要な側面です。イタリアのパレルモでは、沈黙には色々な意味があります。その1つにパレルモの掟といって、マフィアなどに従う従順さを示すものがあるのですけれども、かたや抵抗の意味での沈黙でもあります。
―― ロベルト・アンドー監督のお名前は、日本でもアンドウさんがいらっしゃるように、アンドウではなくて、アンドーとお呼びするのが良いと思いました。
ありがとうございます。
―― ちなみに、昨日、監督と奥さまがお買い物をされているときに、日本の漢字で「アンドウ」という印鑑をお買いになられていました。(MC)
会場: (笑)
映画『修道士は沈黙する』は、日常から遠い世界に感じる世界経済を操る人々を修道士の目線を通じて垣間見ることのできる社会派サスペンスである。世界経済とは、人間らしさとは、地球に生きる生命ついて考えさせられるリアリズムを追求した作品である。ぜひ、ロシェが死の前に修道士に託したある秘密を劇場にてご確認ください。
[記者: おくの ゆか / スチール撮影: 久保 昌美]
イベント情報<映画『修道士は沈黙する』ロベルト・アンドー監督来日特別試写会ティーチイン> ■開催日: 2018年1月17日(土) |
映画作品情報
《ストーリー》バルト海に面した高級リゾート地ハイリゲンダムで開催される G8財務相会議の前夜、国際通貨基金専務理事のダニエル・ロシェは各国の財務相に加えて、異色の3人のゲストを招いて自身の誕生祝いを開催する。会食後にロシェはゲストの一人、イタリア人修道士ロベルト・サルスを自室に呼び、告解をしたいと告げるがその翌朝、ビニール袋を被ったロシェの死体が発見される。自殺か他殺か?告解を受けたサルスは口を噤む中、警察の極秘捜査が続けられていく。発展途上国の経済に大きな影響を与えかねない重要な決定を発表する記者会見の時間が迫ってくる。各国財務相の政治的駆け引きに巻き込まれたサルスは、ロシェの葬儀で自らの思いを語り始めるのだった。 |
第51回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭
イタリア映画記者協会賞2016 最優秀撮影賞受賞
ゴールデンCIAK賞2016 美術賞ノミネート
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞2017 主演男優賞・脚本賞・プロデューサー賞
出演: トニ・セルヴィッロ、ダニエル・オートゥイユ、コニー・ニールセン、モーリッツ・ブライプトロイ、マリ=ジョゼ・クローズ
後援: イタリア大使館 / 在日フランス大使館 / アンスティチュ・フランセ日本
特別協力: イタリア文化会館
協力: ユニフランス
2016年 / イタリア=フランス / イタリア語・仏語・英語 / カラー / 108分 / シネスコ / ドルビーデジタル / 字幕:寺尾次郎
Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー!
公式Facebook: @shudoshifilm